約1年前の2025年6月3日の早朝、プロ野球界の太陽が静かに沈んだ。長嶋茂雄――その名を聞けば、日本人なら誰もが脳裏に鮮やかな光景を思い浮かべるはずだ。
ダイヤモンドを疾走するユニフォーム。スタンドを揺らした快音。スポットライトを浴びて声を震わせ、マイクに向かうミスターの姿。89年の生涯で刻んだ「名場面」は、半世紀以上を経た今もなお色褪せない。
逝去から1年が経った今、長嶋茂雄がグラウンドで演じた、永遠に語り継がれる5つの瞬間を振り返る。(2回中の2回)
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【名場面3】1974年10月14日 引退試合・「わが巨人軍は永久に不滅です」
「3番サード長嶋」がグラウンドに刻んだ最後の足跡は、雨で一日順延された月曜日にあった。
1974年10月14日、後楽園球場。2日前の12日に中日のリーグ優勝が決まりV10が絶たれた苦渋の中、長嶋茂雄の引退試合は中日とのダブルヘッダーとして行われた。早朝から球場にファンが殺到し、テレビ局も急きょ中継に踏み切った。
第1試合に「3番サード」で出場した長嶋は、4回に通算444本目のホームランを左翼席へ運んだ。さらに第2試合では「4番サード」でフル出場。王貞治も7回に3ランを放ち、通算106度目のONアベックアーチが引退試合を飾った。
試合後の引退セレモニー。「ミスターG 栄光の背番号3」と映し出された大型ビジョンを背に、マイクの前に立った長嶋は声を震わせながら語りかけた。
「私は今日ここに引退いたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」――。
静まり返ったスタジアムに響いたその言葉は、半世紀以上が経った今も球史に刻まれる名言として生き続けている。
実はこれ、原稿には「永遠に不滅です」と書かれており、長嶋が緊張のあまり「永久」と言い間違えたものだった。草案の打ち合わせに携わった長嶋の知人男性は当時をこう証言している。
「シゲが20分ほど目を閉じて考え込み、『今から言うことを書いてくれないか』と言ってきた。そして『巨人軍は永遠に不滅です』と言うと、ふーっと大きく息を吐いたんだ」
しかし、その「言い間違い」がかえって独特のリズムを生み、誰の心にも刻まれる名台詞になった。
なお、引退挨拶には本来、少年たちへの「野球を愛してほしい」というメッセージも含まれていたが、本番では完全に抜け落ちてしまった。子どもたちを集めて予行演習まで行っていたにもかかわらず――。人の心を打ちながら、どこかおおらかさを持ち合わせていた。それもまた長嶋茂雄という男の本質だったのかもしれない。
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【名場面4】1994年10月8日 10・8決戦「国民的行事」中日との同率首位決戦
監督・長嶋茂雄が演じた最大の名場面は、やはりこの一戦だろう。1994年10月8日、ナゴヤ球場。巨人と中日が129試合を消化してともに69勝60敗――プロ野球史上初めて、同率首位で130試合目の直接対決が優勝決定戦となった。
長嶋監督はこの一戦を試合前日から「国民的行事ですからねぇ」と言い続け、後に流行語にまで昇華させた。
前日のホテルで先発の槙原寛己を監督室に呼び、「後ろには斎藤と桑田もいる。思い切っていってくれ」と静かに言い聞かせた。そのシンプルかつ大胆な一言が槙原の腹を決めさせた。
試合ではミーティングで「俺たちは勝つ、勝つ、勝つ!」と選手を鼓舞した長嶋の言葉通り、巨人が6対3で勝利。槙原から斎藤、桑田へと繋ぐ「三本柱リレー」でリーグ優勝を手にした。
さらに日本シリーズでは、前評判圧倒的不利のパ・リーグ5連覇の西武ライオンズを4勝2敗で制し、監督として初の日本一を達成した。
10・8決戦を経験した槙原は後にこう語っている。「あの試合を経験すれば、怖いものは何もなくなります」と。
