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書籍『トラック野郎 50年⽬の爆⾛讃歌』刊⾏記念! ⼩川晋(著者)+川原和彦(かわらのジョナサン)対談第3回 「小川さん! あった、これだ! ドライブイン」

書籍『トラック野郎 50年⽬の爆⾛讃歌』刊⾏記念! ⼩川晋(著者)+川原和彦(かわらのジョナサン)対談第3回 「小川さん! あった、これだ! ドライブイン」

トラック野郎研究家として書籍『トラック野郎 50年⽬の爆⾛讃歌』を刊⾏した⼩川晋⽒と、その盟友として「強⾏ロケ地調査」を敢⾏している「かわらのジョナサン」こと川原和彦⽒。同学年の「トラック野郎」狂が、その思いの丈を存分に語り合う対談の第3回は、いよいよ「強行調査」と呼ばれるロケ地探索の詳細が明かされます。その進化の過程、そして苦労の数……そう、「強行調査」は1日にしてならず、なのです。

『トラック野郎 50年目の爆走讃歌』
小川晋 著/立東舎 刊
定価3,300円(本体3,000円+税10%)
https://rittorsha.jp/items/25317420.html

一般有志だけで開催された追悼イベント

川原 2014年春、Blu-rayボックスが発売されたのを見届けたかのように鈴木則文監督が逝去されました。5月15日のことです。そして同年11月28日には菅原文太さんが逝去。さらに翌2015年4月15日には愛川欽也さんが逝去。1年の間に監督・主人公・相棒役が亡くなった作品なんてあまり聞いたことがありません。文太さんが亡くなられるほぼ1年前に、小川さんはBlu-rayボックスの発売記念取材でインタビューされていますよね。

小川 実はその前、Blu-rayボックスの企画が着々と進む中で、菅原文太さんはスズキ「新型キャリィ 軽トラ野郎」のCMキャラクターをはるな愛さんとともに務めることになり、私はその発表会に参加しましてね。文太さんにご挨拶をさせていただきました。現場はマスコミ記者会見の合間で立て込んでいる中でしたが、鈴木則文監督の近況をお伝えしたりと、10分ほどでしたがしっかりと会話を交わすお時間を割いていただいたんですよ。

で、忘れもしない2013年11月27日、文太さんご指定の日比谷松本楼にて、たくさんの出版関係者が集まる中でボックスの映像特典用のインタビューが行なわれました。なんせ文太さんはそれまで「トラック野郎」は勿論、「仁義なき戦い」についての取材もほとんど承諾されていませんでしたから、その注目度はかなりのものでした。インタビューが開始される直前まで、場内にはピリピリした雰囲気が漂っていたのを強烈に覚えています。

川原 「軽トラ野郎」の発表会に参加していたなんて初耳です(笑)。Blu-rayボックスのインタビューに立ち会われただけでなく、あのCMの発表会にも立ち会われていたとは、
貴重すぎるとしか言いようがありません。われわれは映像や文章でしか観ていないから、現場の雰囲気を間近に感じ取れたのは財産ですね。

それにしても11月27日は印象深い日です。まさか1年後の翌日に文太さんが亡くなられるとは思ってもいなかったでしょうし、12年後には中島ゆたかさんが亡くなられるという、何とも申し上げることができない日です。

小川 厳密に言えば、「トラック野郎」の要となる重要人物が11ヶ月の間に3人も亡くなってしまいましたからね。私自身もマスコミの対応や『カミオン』や『トラック魂』といったデコトラ専門誌での追悼特集などに携わっていたので、大変失礼ながら当時は悲しみに暮れている余裕はありませんでした。関東み組の宮﨑会長を筆頭に、各デコトラクラブも追悼会などを企画したりと関係者は目まぐるしかったと思います。

中島ゆたかさんは、元東映宣伝部の福永邦昭さんを通じて書籍『トラック野郎 50年目の爆走讃歌』でのインタビューが実現したんです。歴代マドンナの中で、個人的にも特にお話を伺いたい方だったので、出版直後に亡くなられたのはショックでした。インタビュー時、ゆたかさんはあまり体調が優れないご様子でしたが、しっかりと記録を残すことができて本当によかったと思います。

川原 対談第2回の最後で文太さんと欽也さんの追悼イベントが行なわれた話に触れましたが、実際は「桃次郎」と「ジョナサン」の追悼イベント。実在しないキャラクターの追悼イベントが大々的に行なわれたなんて、『あしたのジョー』の力石徹の葬儀(ファンイベント)くらいしか聞いたことがなく、でもあれは講談社も一枚噛んでいるようですので、どちらかというと所属事務所や企画会社が企画したようなもの。ですから、有志が開催したのは「トラック野郎」くらいじゃないでしょうか。

「トラック野郎」の危機を救った丹波哲郎

川原 爆走讃歌にも記述のありました一番星号押収(逮捕)の話ですが、当時は「トラック野郎」も絶頂の第3作の時でノリに乗っていましたから、新聞によっては本当に大きく取り上げられましたよね。『爆走一番星』の制作が決まり、新車に近い中古車を購入し使用を開始しましたが、確か1975年3月登録だったので、翌年3月には車検が切れていたのに恐らく車検を受けず、仮ナンバーで『望郷一番星』の撮影を行なっていた。撮影自体は走行距離も長くないから大きな問題にはならなかったのかもしれませんが、公開前の全国プロモーションの時に逮捕。これが原因で第4作『天下御免』の製作が危ぶまれる事態になりますよね。
※詳しくは『爆走讃歌』の(車輌)新井鐘哲さん(P300)、(進行主任)東一盛さん(P183)の記事を参照してください。

小川 『望郷一番星』の全国縦断キャンペーン中に一番星号が押収、宣伝活動が中止になったというのは、当時の撮影所長・幸田清さんによると、警察の単なる取り調べというだけではなく、シリーズ継続が危ぶまれるほど深刻な問題になっていたようです。監督やプロデューサーの天尾さん、文太さん、欽也さんはもちろん、東映本社では大ヒットでノリに乗っていた時期でしたから関係者は皆、頭を抱えるアクシデントだったと。そんな中で、問題を解決しシリーズが続行できるよう取り計らったのは、なんと日本映画界の重鎮・丹波哲郎さんの口利きだったそうです。でも「トラック野郎」と丹波さんってシリーズに出演もしていないし、イメージ的に全然結びつきませんよね。ですから私も思わず幸田さんに聞き返してしまいましたよ。お芝居の中では数々の作品で警察の大幹部役を演じられていますが、実際の警視庁にも人脈がおありだったわけです。

川原 貴重なお話をありがとうございます。「トラック野郎」には全く関係しなかった丹波哲郎さんが、まさかの恩人とは誰も思わないですよ。最近流行のAIを使ったYouTube動画に使われそうなネタですね。1人の俳優が警視庁との仲介をしてくれるなんて。しかも、それが無ければ第4作『天下御免』以降の作品が存在しなかった可能性があると考えるとゾッとします。
幸田さんのご著書『活動屋人生こぼれ噺』は、いつも手の届く場所に鎮座しています。もちろん『爆走讃歌』も(笑)。

小川 幸田清さんはご自分が東映に入社した時のエピソードから、東映東京撮影所で任侠路線がスタートしたお話など、実に興味深いお話が盛りだくさんで、4時間以上も話題がつきませんでした。取材後、90代を超えた現在でも年賀状でコンタクトをとりあっていましたが、残念ながら今年の4月11日にお亡くなりになってしまいました。享年94。昨年9月、出版の際にインタビュー再録の承諾をいただこうと連絡した際「どうか良い本を作ってください」とメッセージの葉書を頂戴したのが最後でした。

配信元: ガジェット通信

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