2人のロケ地調査は青森がきっかけ
川原 裏話もネタが尽きぬところですが、われわれが出会ってからの話も思い出していこうかと思います。大洗の追悼イベントの2ヶ月後に、日本でデコトラを始めた人物とされている夏坂照夫さんが青森県八戸市で「デコトラ祭り」を開催。小川さんはゲストで参加された後、私に拉致され(笑)、青森市を目指して沿道のロケ地を2人(嫁も居たので3人)で回ったのが、タッグを組んだロケ地調査の序章です。
そんな私のロケ地解読方法は、特にヒントとなる資料等も無かったので、映画を見ながら場所を予想し闇雲に探すだけというもの。アナログかつ非効率な方法ですね(笑)。場合によっては、その場所を頭の中で図化 (地図に)して、同じ地形の場所を探します。現在はストリートビューなどがあるので、本当に探しやすくなりました。
小川 宮﨑会長とほぼ同じ頃にトラックを飾り出した夏坂照夫さんもレジェンドのひとりですが、八戸でのイベントに招待されたのも今や懐かしく思い出されますね。まさに川原さんとロケ地調査を行うきっかけが青森でした。私はそれまでロケ地に関してはほとんど未調査で、川原さんと知り合った時には、ロケ地調査へのバイタリティが半端ないなと感じました(笑)。それならば、私の手元にあるシリーズ全作のロケハン(ロケーションハンティングの略)写真を提供すべきだと直感的に悟ったんです。東映では、過去の作品の台本およびポスターやプレスシート、スチール写真といった宣材材料は、京都太秦の映画資料室にきちっと保管されているのですが、撮影当時のスケジュールや詳細なスタッフ表はまったく残されていないんです。唯一、撮影所で保存されている撮影資料は、各作品のロケハン記録をまとめたスクラップブックだけかと思います。これは一般に公開されている資料ではありませんが、東京撮影所と本シリーズの美術デザイナー・桑名忠之さんのご協力により拝借できたのです。
東京撮影所に保管されている、各作品のロケハンスクラップブック(写真提供:芸文社『カミオン』編集部)
川原 現代では聖地巡礼がドラマでも映画でも、はたまた漫画でも、普通に行なわれる世の中になりました。ですがこんなことになるとは「トラック野郎」の時代には予想もされていなかったのではないでしょうか。鈴木監督は特に。ロケ地について伺っても「こんなところに行って何が面白いの? 頭大丈夫?」なんて言われそうですね(笑)。それが故に、撮影当時の資料もほとんど残っていないのかなと思います。資料として保管するのも難しい時代でしたし。そんな中、小川さんから提供いただいたロケハン写真の存在は大きかったです。エピソードは後述いたしますが。
「西達布に検問所ってありますか?」
川原 話が少し(かなり)戻りますが、私の手元に1975年の全国道路地図があって、中高生の頃はそれを片手に「新潟の魚市場」はどこか?「金沢北警察署」は地図で探せない等、地図上でロケ地を探索しておりました。そのため市街図の「魚市場」にはかなりの確率でマーキングがしてあります。高校生で、当時純粋だった私は、修学旅行の自主研修で行ったのが「姫路」でした。はい、理由は言うまでもありません……。姫路城を観て、第2作のドライブイン「おふくろ」にも行けるんじゃないかという淡い期待。もちろん、時間も無く行けませんでした。当時はまだ「おふくろ」が姫路にあると信じていたんです……ね、純粋でしょ(笑)。
また、比較的怖いもの知らずだった私は、こんな行動を起こしておりました。
第3作『望郷一番星』のクライマックス、「西達布検問所の脇道には入るな…吊り橋がある」というセリフから、西達布のある富良野市役所観光課に直電。
川原「西達布に検問所ってありますか?」
役所「検問所?」
川原「はい、そこの脇道を入って行くと吊り橋があるハズなんです」
役所「? 吊り橋、何の情報?」
川原「映画で……」
役所「何の映画?」
川原「トラック野郎です」
役所「あぁ~それ映画の設定だね」
川原「設定……!!」
そんな大人の事情を知る時代を経て、知識を得て強くなっていきます。
結局、今も仕事で全く同じようなことをしておりますね……(笑)。
小川 対談第1回でもご紹介した、自主出版の『トラック野郎 資料集』を鈴木監督へお送りした際、返信でいただいた手紙には「貴方のようなファンがいるのなら、もっと丁寧に撮ればよかったと後悔している」と綴られていたんです。ですから監督に「いや、プログラムピクチャーの時代だからこその、こういった荒削りな作品に共感しているんです」とお伝えしたら、「おーそうか!」と、とても嬉しそうな表情を浮かべておられたことを思い出します。その後、何回となく監督にお会いしたある日、「小川くん!僕はキミにトラック野郎の撮影に関するエピソードを色々と話したけど、まだ調べることがあるのかい? ちょっと頭がどうかしているんじゃないか?」と実際に監督から言われましたからね(笑)。
川原さんは今やロケ地探求のオーソリティという感じがしますけど、富良野市の観光課に連絡するほど、最初は右も左も分からない状況だったんですね。役所の人にいきなり「トラック野郎」と言っても、何のことなのかさっぱり分からない人の方が多いと思います。
川原 自主出版の『トラック野郎 資料集』の話を聞いたときは、すごいと思うと共にヤられた感がありました。子供の頃から周りにも「トラック野郎」好きは何人かいましたが、自分が言うのも何ですが私は異常でしたね。まぁわれわれにとって「頭おかしいんじゃないの?」は褒め言葉ですから。
でも、そういうことを言っていること自体が異常かな?(笑)。
「トラック野郎」って東映始まって以来の配収を記録したとか、シリーズものとは思えない動員数を記録したとか、第2作で「男はつらいよ」をも超えるほどの人気ぶりだったと言われますが、どうしても評論家の評価や賞レースの評価が低いためか、当時の映画界の話題としてあまり取り上げられていない気がします。それでも一定のファンやデコトラ推しの人達に支えられ現在に至りますよね。
90年代に入ると『映画秘宝』等で取り上げられた記事は見ていましたが、『天下御免の特別號』辺りからようやく、単独の特集本が出てきた印象です。そして小川さんが一線に出てきて下さったことで、関係書が増えてきましたよね。
小川 『トラック野郎資料集』を作ったのは、日本映画の書籍は星の数ほど出版されていても、映画「トラック野郎」の本はなかったので、単純にじゃあ自分で作ればと思ったからです。たしか私が日本映画学校を卒業して美術製作会社に入った頃だから、2001年の春頃に構成案を考えていたと記憶しています。自分用に作るのが目的ですから、自主制作本というよりも私家本ですね。そんな時に月刊誌『カミオン』から「トラック野郎」のムック本『天下御免の特別號』が2003年に出版されるというニュースを聞いて、クッソ〜先を越されたーと敗北感にやられましたよ。
