「強行(恐行)」感が現れてきた北海道行脚
川原 私のロケ地研究は地図好きだったのが大きな要因ですが、始めはロケ地を解読しようなんて思ってもいませんでした。単純に地図を見てクライマックスで一番星が走ったルートはどこだったのかを調べていくうちに細々した箇所を調べるようになり、終いに「設定」とか聞かされたら「実際はどこだったんだ?」と。そうこうしているうちに火が付いてきたわけです。はじめの頃は「現地に行けば分かるだろう」くらいの感覚で、資料を何も持って行かなかったから、全く分からず玉砕。ロケ地はおおよその場所ではなく、ピンポイントまで絞らないと探し当てるのが難しいことを痛感し成長していきます。
そして2016年6月に私の実家帰省に合わせ、『望郷一番星』ロケ40周年の同行ロケ地調査を敢行したわけです。小川さんにはわが実家に一泊していただき、静内・釧路・札幌の順で行脚。静内の調査中には、地元ラジオ番組「工藤じゅんきの十人十色」に投稿したのが読まれ、「何の映画のロケ地を回ってるんですかね?」なんて紹介されたこともありました。
小川 それまで一度も足を運ぶチャンスがなく、『望郷一番星』のロケ地調査で初めて北海道に足を踏み入れました。どうせならと開通して間もない北海道新幹線で行ったのですが、東京ではまだ夏の陽気なのでTシャツで乗車したものの、新函館北斗駅を降りた途端、ものすごく寒くて持参したダウンを慌てて着込んだのを覚えています。
ちなみに、ロケ地探訪には「Googleマップ」という絶対欠かせないアイテムがあります。とはいえ、諸々の調査がないと具体的なロケ地は一体どこだったのか、検討もつかないと思います。つまり下準備が大事だということで。
川原 「Googleマップ」の出現は衝撃ものでした(2005年にGoogle Mapsが公開)。あの頃からロケ地の探し方も変わりましたし。
北海道は確かにあの時が初めてと仰っておられましたね。釧路では小川さんがアポを取ってくださった釧路新聞社さんへ取材に伺ったら逆に取材を受け(釧路新聞2016年6月17日掲載)、その時の担当者が現在の代表取締役社長の「星 匠」氏でしたが、本当にお世話になりましたよね。今までロケ地調査時にも小川さんが多数アポ取りしてくださりましたが、釧路新聞社さんや、この後に出てくる新潟日報社さんほど対応の良かった新聞社さんは他にないですよね。大抵は相手にもしてくれない(印象が良くない)イメージです(笑)。それから、たまたま入った資料館にあった昔の航空写真からドライブイン「はきだめの鶴」を発見できた時は鳥肌もので、現地調査は本当に大きなものだと実感しました。「小川さん! あった、これだ! ドライブイン」と思わず叫びました。あの調査の時から、後の「強行(恐行)調査」感が見え隠れしていましたね。そして小川さんが書かれた記事「ドライブイン探訪記」(『カミオン』2016年11月号)への協力へとつながります。
はきだめの鶴のロケ地になった「錦町市場」付近の航空写真(撮影:川原和彦)
小川 釧路新聞社さんは現地の映画史研究家・高橋国治さんや釧路東映の鈴木照昌支配人をご紹介くださったり、渡北した時の良い思い出です。これだけでも私にとって北海道は良い印象しかないです。新潟日報社さんでは、記者の佐藤稔治さんも「トラック野郎」の取材をされていたところをお声がけし、合同のロケ地調査になったりと楽しかったですね。どちらの新聞社も今回の『50年目の爆走讃歌』を紙面でご紹介いただきました。
『カミオン』に執筆したトラック野郎「ドライブイン探訪記」は、全10作に登場する全国のドライブインを2ページに凝縮して紹介する企画でした。あれは、解明の最難関だった『一番星北へ帰る』に登場する店舗「みちのく」がようやく判明した頃だったと思います。間違いなく川原さんのご協力がなければ作れなかったページでした。当時はまだ、『御意見無用』でのドライブイン「くるまや」の外観ロケーションで使用された埼玉県東松山市の「天然の味 田園」も現存していた頃でしたよね。『熱風5000キロ』に登場する「藤村食堂」の外観として採用された埼玉県比企郡の「嵐山ドライブイン」が最後まで残っていましたが、ここも2023年7月に閉店となったようで、シリーズに登場するドライブインはついにすべて消滅してしまいましたよ。
川原 釧路新聞社の星社長には『望郷一番星』公開45周年の時にも、『カミオン』(2021年9月号)で掲載になったロケ地調査の記事もご紹介いただいたんです(釧路新聞8月10日掲載)。『望郷一番星』への思い入れが特に強い私には本当にうれしいことでした。「ドライブイン探訪記」の時は、小川さんが押さえているドライブイン情報を確認して、当時確定していなかったドライブイン、第7作「海女の郷」と第8作「みちのく」ということで始まりましたね。
「みちのく」は、南部屋敷だとかいろいろな噂も錯綜しましたが、全く手掛かりが無く10年以上探しておりました。小川さんがロケハンの貴重な写真を参考資料として送ってくださり、朝出勤前にその写真を眺め20分ほどで判明! 今までの10年は何だったのか? まぁ、会社に行く前に写真を見ようとする私も私ですが(笑)。とは言っても、あの写真からすぐに見つけられるほど、甘くはない資料だとは思います。なにしろ、今は全く面影も何も無い場所ですからね。自分で言うのも何ですが、よく見つけたなオレ(笑)。まぁここは長年アナログにロケ地解読を行なってきた者の成せる直感でした。※「みちのく」のさらに詳しい記事は『カミオン』(2022年5月号)の「スクラップブック回想記 P156・157」「ロケ地調査 P161」に掲載されています。
一方、「海女の郷」は概ねの位置は押さえておりましたが確証がなかった。小川さんの真鶴辺りではないかという情報と、私の想定場所を再確認してみたら……「真鶴」……合ってるかもって。小川さんはいろいろな資料から場所を突き止めていくのに対し、私は映画映像を頭の中で平面図化して同じような地形の場所を予想しながら闇雲に探す(笑)。それでもこの時はお互い意見がぶつかり、小川さんの決め手の情報の1つが、当時の地図だった。そこでぶつかったわけですね。
小川「当時の地図と(川原想定)位置が違う」
川原「えっ! ……あぁ、それ地図が間違っています」
小川「そんなことあるんですか!?」
川原「はい、当時の地図って結構アバウトな部分あるんですよ、特に郊外の場合。本職が言うんですから間違いないです(笑)」
その後、小川さんのさらなる資料収集や取材調査により、最終的には私の想定していた位置に落ち着きました。そうこうしながら私も協力させていただき、あの記事が掲載されて本当に良かったと思います。
2017年には新潟日報社の夕刊「大人プラス」に第5作『度胸一番星』の公開40周年特集記事が載ることになり、その取材協力の依頼を小川さんからいただき、ロケ地のアドバイザーとして参加。小川さんも先ほど言われていたように、新潟日報社編集部の佐藤稔治さんと佐渡島を巡り、その数日後には小川さんも参加して関東のロケ地を周りました。この時はたしか「天然の味 田園」に行きませんでしたっけ? この時じゃなかったかな。この時点で私の写真も概ね集まったため、『カミオン』に40周年企画でロケ地調査の記事を提案すると、快く対応くださり第1回掲載となったわけです。
新潟日報夕刊紙「Otona+」(おとなプラス)
小川 「天然の味 田園」は過去に何回か店前を車で通ったことがありましたが、店内に入って食事をしたのはこの時が最初で最後でした。
川原さんの本職は地図屋さんだけあって、ロケ地を特定する方法が独特ですし、誰にでもできることではないと思います。本編の映像を頭の中で平面図化……っていう時点で、超が付くほど方向音痴の私にはさっぱりわからない(笑)。仰るように私は図書館で、新聞や雑誌に掲載された記事や写真を探し出したりする方が向いているのかもしれない。2022年に『カミオン』で、先にも記した「トラック野郎」のロケハンスクラップブックを紐解き、美術の桑名さんに思い出を語っていただく連載ページ「スクラップブック回想記」を私が担当していた時、情報収集のために東京永田町にある国立国会図書館へ頻繁に通っていました。
「トラック野郎」研究、とひとことで言っても私と川原さんの中でも研究部分が異なると思うのですべてを比較することはできませんが、間違いなく共通していることは、現地へ行く前に下調べに十分時間をかけていることではないでしょうか。
なんとなくロケ地付近へ足を運んでみても、明確に特定できそうでできません。「現地へ行けばなんとかなる」と思っても「なんとかならない」んですよね。限られた時間の中でコマを進めるには、事前に調査しておかないと遠方のロケ地へ行った意味がありませんから。国会図書館での調べ物でも、何年何月号何ページの雑誌○○、何年何月何日の××新聞、と具体的な掲載号を事前に調べておかなければ、あっという間に閉館時間になってしまいます。当たり前のことですが、国会図書館に「映画トラック野郎コーナー」があるわけではないですから(笑)。
川原 私のロケ地を特定する方法って独特なのですかね。皆さんこんな感じかと思っていましたが(笑)。でも確かに図化する人はいないですね、恐らく。見つかる直感があって、「今日、なんか見つかる気がする」と思うと本当に見つかることが多いですね。
少し話は長くなり逸れますがお許しください。私の個人的な趣味の話になるのですが、旧道、廃道、廃線等の一線を退いた道路や線路が好きなんです。なぜこんな話を挟んだかというと、「トラック野郎」って地方ロケが多く、一番星号の走行シーンなんかを観ると結構、現在は旧道や廃道になっている道路や旧線(廃線)の現役時代が動画で残っていたりするんです。私の周りにもそういう趣味の持ち主が数多く存在しますが、「トラック野郎」は観たことがないという人も多く、そのような話を聞くと「うわぁ~もったいない~」と。
廃線跡や旧道マニアの知識が功を奏して発見できたような場所も結構あります。そんなシーンの1つを例に挙げると、ロケ地突撃調査(第7作)に行く3日前、三重県在住の友人で一番星号マニアの城徳男さんから「当時先輩の喫茶店にロケ隊が来て、そこの近くでロケをしたのに本編でカットされた」という話を伺ったんです。念のためその場所を確認すると、私のロケ地調査行程には入っていない。そりゃ本編に出ていないところですから。しかしその該当箇所を地図で再度確認すると、私が見つけきれず調査から省いた場所だったのです。近鉄の旧線(映画当時は現役)の横を、一番星を始めとするトラックが走行するシーン。それも、「特報」「予告編」「本編」すべてに採用されている場所。これには城さんも驚かれていましたね。即、カツカツの行程に無理矢理ねじ込みました。小川さんが多忙で参加できなかった2023年の回です。そして、これが『カミオン』とタッグを組んだ初の1週間調査でした。
強行ロケ地調査の由縁
川原 「強行ロケ地調査」については、特に強行的なロケ地調査をしているわけではないんですが、自然とそう呼ぶように……(笑)。ご存じの通り約1週間で50箇所前後の調査(撮影)を行ないます。前述のように数日前に調査箇所を追加したりは普通のことで、メンバーには有無を言わせない、それに合せていただく(笑)。ロケ地調査って、実際にロケされた時期に行けると良いんですが、夏作品だと緑が生茂り全く映えない。そうなると資料的には10~11月、2~3月が一番良いんです。台風などの確率も減りますし。ただ、写真は撮れる時間に限りがある。特にこの時期は日照時間が短い。日の出ている時は極力撮影、暗い時間に移動。このようにして時間を稼ぐわけですね。恐らくその兆候がハッキリ出たのは2019年夏の暑さ(熱風)にやられた信州調査の時からです。
小川 川原さんにお声がけいただいて『御意見無用』の青森、『望郷一番星』の北海道、『熱風5000キロ』の長野、『天下御免』の愛媛および中国地方、『爆走一番星』『男一匹桃次郎』の九州一帯、といったさまざまなロケ地調査に同行させていただきました。しかも2025年11月には『男一匹桃次郎』の舞台となった佐賀県唐津市に唐津くんちを見るために再訪できたのは非常に大きかったです。
岡山県内にて (撮影:吉崎元)
広島県内にて(撮影:大越輝)
佐賀県内にて(撮影:大越輝)
川原 私も元々はひとりで回っておりましたが、2016年の北海道、2017年の関東、2019年の信州と小川さんにご同行いただき、1人より共鳴できるパートナーとの調査が、いろいろな意味で進展することを痛感致しました。そこで『カミオン』編集部の全面協力をいただき、2023年にはロケ地突撃調査が実現します。これでさらに内容の濃い調査ができるようになりました。小川さんにアドバイスをいただいたからこそでした。ただ、この時は小川さんが多忙で参加できなかったため、「トラック野郎」で助監督を務められた吉崎元さんに急遽ご同行を打診しました。パートナーは誰でも良いわけではなく、作品に精通している人か、ロケ地調査に興味のある人じゃないと厳しい。突撃調査の時は2人でしたが、さらに遠くなった『天下御免』調査の時は、小川さんにも再合流していただき3人で調査しましたよね。ここで気付いたのが、私と小川さんが前面に出て調査し、吉崎さんが一歩引いた形で対応してくださるフォーメーションの良さ。要するに、3人で行くことができない状態の時に対応してくださる存在がいないと調査が成り立たない。トラック野郎マニア3人がロケ地調査に行くと、あまり良い状態にならないわけです。皆がロケ地に行きたいですから(笑)。この天下の調査時は、朝一に松山城の撮影でしたが、渋滞で予定が押すことを察知し急遽その場で行程を修正。松山城の調査を夕方に切り替え、その日松山調査を17時過ぎに終了したらそのまま松江の宿泊先まで移動。松山から松江は距離にして250km強……どこぞの映画のクライマックスのような展開でした(笑)。
2025年の『男一匹爆走』調査は、吉崎さんの代わりに、前年の信州追加調査を手伝ってもらった友人の大越輝さんが参加。この方も地図好きというか、違った世界のマニアです。阿蘇の天候不順で調査を中止し、宿泊先の福岡に行き、翌日の撮影予定を前倒し。翌朝5時前に福岡から再度阿蘇山を目指して往復約300kmの計画外走行。これも彼がいたからこそ出来たワザ。そして、これらが「強行(恐行)ロケ地調査」になる所以です(笑)。この調査の時は千葉県から佐賀県まで、途中撮影しながら1,300kmを24時間で走行しましたね。長崎・天草・鹿児島・熊本・福岡(再度阿蘇を経由し)・香川・関東という行程(3,940km)を1週間でこなす恐ろしい強行スケジュール。労働基準法に抵触します(笑)。この時に「唐津くんち」を生で見たいね……ということになり、同年11月渡唐しました。あの時は本当に小川さんには頑張っていただきました、宿取りなど。だけど本当行って良かったですね。「トラック野郎シリーズ」ってご存じの方も多いと思いますが、「殆どの作品に祭り」(祭りに準ずるものを含む)が出てきます。と言いつつも実際に役者が入ってロケされた作品って、第1作の「七夕」と「ねぶた祭」、そしてこの「唐津くんち」だけなんですよね(闘牛や馬力大会等は祭りとは少々違うため別扱いにしております)。まあともかく、小川さんの力の入れ方も、ものすごく違っていたと思いました。
ロケ地の解読ですが、長年やっていると固定観念が見え隠れし、これが結構「老害」なのです。概ねこの辺りで撮っているだろう。トラックだからせいぜい千葉・埼玉・神奈川辺りだろう……とか。確かに大半はそれで探し当てられるのですが、見つからない場所も出てくるんです。そこで (私達の子供くらいの年齢の)大越輝さんを巻き込んだら、「トラック野郎」好きでもないのに見事に当ててきやがる(笑)。そういうこともあるんですね。
九州調査時の行程表の一部(作成:川原和彦)
小川 『天下御免』調査で直面した松山市内の渋滞、『男一匹桃次郎』調査での阿蘇の天候不良……そんなアクシデントもいま思えば思い出のひとつですね。初めての福岡滞在なのに、数時間しか居られなかったのは残念でしたが、阿蘇山を見ないで帰るわけにはいきませんから川原さんが強行を決断したのは正解でした。ほとんど寝てないのに、大越さんが頑張って車を運転してくださったことに感謝しています。1週間で4,000km! こんなこと、好きじゃなければ絶対にできませんよね。
唐津くんちの宿の確保は、容易ではないことをインターネットの情報で知ってはいましたが、こんなに困難だとは思いませんでした!宿の宿泊客はチェックアウトの際に来年の分を確保する方が多いので、一見さんはキャンセル等に頼るか、少し離れた宿を取るしかない。結局、4月から半年間、キャンセルで空室が出るのを毎朝チェックするのが日課でした。それにしても、行ってよかったですね。劇中、桃次郎が曳山に乗ったのは3日間のうちの2日目ですが、唯一、夜の曳山巡行となる初日の宵曳山の雰囲気に身も心も完全にやられてしまいました。神々しいというか何というか。『男一匹桃次郎』のロケーションが初日のナイターだったら、演出方法も違ったかと思います。そのあたり、鈴木監督に伺いたかったですよ。それにしても、派手で威勢の良いお祭りなのに、ヒートアップする雰囲気がスマートで、曳山に乗るお囃子方(はやしかた)や曳き子のひたむきな姿勢にぐっときました。自宅に戻っても、笛の音がしばらく耳から離れませんでした。毎年、リピートで訪れる観光客が多いのも納得できますね。
川原さんでも解読できないロケ地。例えば『度胸一番星』の砂金採取場は、草木と川の浅瀬だけ。しかも映るほとんどの看板は美術の桑名さんが考案し、付けたものですから手がかりになりません。桑名さんや本作のサード助監督・吉崎元さんの証言で、大まかなところまでは解読できているようですが……?
川原 砂金堀の場所は、仰る通り概ねは突き止めましたが確証は無い。あの川(と思われる場所)にも長靴で入って確認しました。何だか最後は私たちのロケ地調査の想い出話になってしまいました。とはいっても、これがロケ地調査の醍醐味のひとつでもあるんです。このロケ地調査、何が大変って1週間で4,000km走ることでも50箇所以上の撮影をすることでもなく、事前準備が最も神経を使います。解読したロケ地から、実際に行く箇所をピックアップし、行く順番を決め、その流れでどこまで調査可能かを判断し、宿泊先を決める。そして行程表を分単位で作成、条件の良い宿が無い場合や、宿が日をずらさないと取れない場合は、行程を見直して(作り直して)いく。これができたら宿やレンタカーの予約。ここまでは私の担当。実際、私「かわらのジョナサン」のロケ地調査ですから。そして難関の1つ「取材先アポ取り」、これは小川さんにも協力していただく。こうして、ロケ地調査を実行します。
『カミオン』で掲載させていただいている記事には、このような裏話は出てこないですね。「宮城縣」がバーストにより崖から転落するシーンは、北海道の中山峠で転落したとか、オロフレ峠で転落したとか、いろいろな噂話がありました。実際どこの設定だったかは不明ですが、こういう夢があっても良いと思うんです。その反面、ロケ地調査の記事は夢を壊す一面もあり相反します。それを行なうのも性であり、そして大人の事情もあり、場所を明かせないロケ地なども存在します。このようにロケ地ひとつをとっても非常に奥が深く、小川さんもご存じの通り、未だに解読できそうでできていない箇所も残っております。今後もそのような解読をし続けていき、多くのマニアの方々と情報共有できたらと思いますね。
3回に渡ってお送りしてきた「トラック野郎」マニアの対談でしたが、いかがでしたか?
シリーズ第1作『御意見無用』の公開から50年以上が経つのに、川原さん、小川さんの情熱は衰えるどころか、ますます燃え上がっているようです。今後も新発見、新情報がきっともたらされることでしょう。その際は、ぜひまた熱く語っていただきたいと思います。再見!
PROFILE
⼩川晋(おがわ・しん)
1972年、東京都町⽥市出⾝。2001年、⽇本映画学校(現・⽇本映画⼤学)演出科を卒業
後、『キューティーハニー』(2004年 庵野秀明監督)や『⽕⽕』(2005年 ⾼橋伴明監督)等で装飾⼩道具を担当する⼀⽅で、⽇本娯楽映画の映像⽂化を研究。特に『トラック野郎』に関しては、幼年期にたまたまTV放映で観たシリーズ第1作『御意⾒無⽤』のクライマックス、ズタボロになった⼀番星号の爆⾛シーンに強烈な衝撃を受けて以来、果てしなき探究を続ける。2014年『トラック野郎ブルーレイBOX 2』(東映ビデオ)ブックレットの構成・解説、翌年リリースのCD『歌え!!トラック野郎』及びCD第2弾『帰ってきた!!トラック野郎』(ユニバーサルジャパン)のサウンドトラックディスクの選曲・掲載データ作成に従事。2022年、デコレーショントラック専⾨雑誌「カミオン」(芸⽂社)で、『トラック野郎』シリーズ全作を担当した美術監督・桑名忠之⽒が作成したロケハン記録で撮影当時
を同⽒と振り返る「スクラップブック回想記」を連載。著書に『映画トラック野郎 ⼤全集』、共著に『実録やくざ映画⼤全』(ともに洋泉社)、『アデュ〜 ポルノの帝王 久保新ニの愛と涙と⼤爆笑』(ポット出版)、『不良番⻑浪漫アルバム』(徳間書店)など。「トラック魂(スピリッツ)」(交通タイムス社)で約3年間掲載された連載記事をまとめた『トラック野郎 50年⽬の爆⾛讃歌』を昨年10⽉に刊⾏。
川原和彦(かわはら・かずひこ)
1972年北海道恵庭市出⾝。幼少期からの⾞好きが⾼じ、TV放映で観た⼀番星号を始めとするトラックの爆⾛シーンに釘付けとなる。合せて地図好きが功を成し旧道や旧廃隧道、廃線跡等「地理的歴史」にも魅了される。⼀番星号の通った軌跡を地図で追っているうちにロケ地の本格的調査研究をはじめる事となる。1991年札幌学院⼤学⼊学後、映画研究会に所属し、同⼤学卒業後は⾃⾝の趣味を⽣かし「地図調製業」を⽣業とし現在に⾄る。
更に趣味の幅を広げ、国内Aライセンスを取得し、モータースポーツ(レース・スノートライアル・ジムカーナ等の⾃動⾞技活動)を開始、全⽇本選⼿権への参加を経験する。
2015年リリースのCD『歌え!!トラック野郎』及びCD第2弾『帰ってきた!!トラック野
郎』(ユニバーサルジャパン)のサウンドトラックディスクの選曲・掲載データ校正に従
事。2017年に新潟⽇報社がシリーズ第5作「度胸⼀番星」の40周年特集記事を掲載するにあたり、ロケ地アドバイザーとして同⾏協⼒したのを機に、同年トラック専⾨雑誌『カミオン』(芸⽂社)の協⼒を得て、⼤⼈の⾃由研究「トラック野郎ロケ地調査」として不定期特集を開始、同誌掲載の「ドライブイン探訪記」や「スクラップブック回想記」への協力を行ない現在に⾄る。
(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)
