大阪スポニチに入社して2年目のシーズンオフのこと。
南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)担当を命じられた私は、特ダネをモノにしようと躍起になっていた。原稿がまだ下手くそで頭も悪かった私は、この世界で記者として生き残るには"トップ屋"になるしかないと思い込んでいたのだ。
当時の南海ホークスは、お世辞にも球界での注目度は高いとはいえなかった。
そんな球団内で親しくなったのが、1969年のドラフト1位で入団した投手の佐藤道郎(79)だった。
佐藤は新人ながらリリーフエースに抜擢され、新人王や防御率タイトルを獲得するなど大活躍した。
親しく話すようになったのは酒のおかげだ。当時の南海の3番バッター・富田勝は私の法政大学時代からの親友で、本拠地・大阪球場でのナイターが終わると球場近くの繁華街で待ち合わせてハシゴする仲だった。そして、同じように繁華街に繰り出していた佐藤とも合流し、朝まで飲み歩くようになったのだ。
佐藤はアイス・ペールに並々と注いだヘネシーを一気飲みするほどの酒豪で、朝まで飲んだ当日でも平気な顔でマウンドに上がりセーブを挙げていた。
そのスタミナは驚異的で、紙面では火消し役になぞらえた「名消防士」の見出しで何度も記事にした。
先入観が生んだスクープ見逃しの教訓
そんなある日、いつものように飲み歩いた翌朝に開いた朝刊を見て度肝を抜かれた。東京中日スポーツが1面トップで佐藤の結婚をスクープしていたのだ。
「俺も知っていたのに!」
記者として言ってはいけない言葉を思わず口走っていた。記者失格である。
結婚の相手は東京・銀座のど真ん中にあった『日劇ミュージックホール』で踊っていたストリッパーのアンジェラ浅丘。
佐藤と飲み歩いていた私は、当然、アンジェラとの交際も知っていた。銀座の飲食店で知り合った2人は頻繁に飲み歩いており、佐藤も関係を隠そうとしなかった。
それでも、まさか結婚までは想像していなかった。
佐藤は元京大名誉教授の伯父がいるなどお堅い家柄と聞いており、まして相手はストリッパーだ。
今回はただの遊びだろうとタカを括っていたのだ。
実際、スクープ記事を見てもなお信じられなかった私は、会社のデスクに「結婚はあり得ませんよ。トバシでしょう」と、自信を持って報告したほど。
今思えば、偏見と先入観で勝手にそう決めつけていたのだ。
その夜、私は佐藤の行きつけだったバーを探し回り、3軒目で本人を捕まえると単刀直入に切り込んだ。
「記事見たよ。でも、親に反対されているんだろ?」
「親は絶対に説得する。ストリッパーの仕事をしているからなんて関係ない。俺は彼女の人柄が好きだから結婚するんだ」
酔ってはいたが、しっかりした口調で正直に話す佐藤を見て自分を恥じた。
男と女にはこんな愛の形もあるのか――。
自分の中にある古い考えを突きつけられた私は、素直に後追い記事で祝福するししかかなかった。
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稲尾和久と星野仙一が惚れた佐藤道郎の人徳
私が佐藤を久方ぶりに取材する機会があったのは、約5年前。
彼が都内で経営しているスナックだった。
引退後も多くの野球人から慕われたその人間性に改めて感動したものだ。
ちなみに、佐藤が再婚した女性の連れ子には、元福岡ソフトバンクの和田毅と結婚した元アイドルの仲根かすみがいる。
「吉見さん、僕は現役を引退してからも本当に人に恵まれていましたよ」
そう語る佐藤は引退して野球解説者を務めた後、稲尾和久に請われロッテの投手コーチを務めている。
「稲尾さんは本当に男が惚れる男で、神様のような人でした。この世界は平気で人を裏切りますが、稲尾さんは人を騙すことを知りません。いつも飲みに誘ってもらい話を聞いてくれました。稲尾さんに出会えて本当に人生が変わりました」
取材当時、佐藤の店には稲尾とのツーショット写真が飾られており、「開店前には手を合わせて話しかけている」と打ち明けていた。
稲尾の監督辞任と共にロッテを離れるが、その後、星野仙一に請われて中日の投手コーチに就任する。
