麻生太郎の影が色濃く残る船出
こう見てくると、平成22年とされた「高市首相」の誕生は、ちょうど“実現”まで15年遅れたわけだが、とくに「私たちの憲法」では「文民統制明記を前提に、『自衛のための交戦権』は書き込むべき」としている。
すなわち、今日、憲法改正に改めて強い意欲を示す高市の姿勢には、ブレがなかったことを証明しているのである。
もっとも、15年後の現実では、かつて夢を描いていた組閣をはじめ、党役員人事も思うに任せぬ結果となった。人事は総裁選の逆転勝利における“最大の功労者”である麻生太郎の意向に沿うもので、とても「高市色」が前面に出たものとは言い難かった。
まず、麻生を最高顧問から副総裁に格上げ、党を握る幹事長には、その麻生の義弟にあたる鈴木俊一、政調会長にやはり麻生と気脈を通じる小林鷹之、総務会長に麻生派の有村治子と、事実上、麻生一色の党役員人事を許したのだった。
また、閣僚も高市色はごく一部に限られ、総裁選を争った林芳正総務相、茂木敏充外相、小泉進次郎防衛大臣を入閣させて、「党内融和」に配慮せざるを得ない政権の発足を余儀なくされている。
こうした一連の人事は、高市の党内基盤の脆弱さを露呈したものにほかならず、それを払拭するために高市は政権発足からわずか3カ月にして、党内の反対を押し切っての衆院解散・総選挙突入で勝負を懸けた。結果、今年2月の総選挙は、自民党にとって300議席を大幅に上回る“歴史的大勝”であった。
「日本初の女性首相」として高市の人気が爆発した格好だったが、実際は党内に孤独感も漂っている。なぜ、高市は「孤高の首相」になってしまったのか。
(本文中敬称略/この項つづく)
「週刊実話」6月25日号より
小林吉弥(こばやし・きちや)
政治評論家。早稲田大学卒。半世紀を超える永田町取材歴を通じて、抜群の確度を誇る政局・選挙分析に定評がある。最近刊に『田中角栄名言集』(幻冬舎)、『戦後総理36人の採点表』(ビジネス社)などがある。
