足つぼマッサージがデスゲームだった
そして、実際に上映が始まる。劇中では、ロングウォークの参加者である若者の1人が、「靴紐がほどけて結び直そうとする」ために「警告」を受ける。その時に、場内にいた教官が「セェェット(Set)」と声をかけ、足元には軍人(実際はプロの指圧師さん)のひとりがやってきて、おもむろに筆者の足を手にかけた。
あはは、あはは、なんだなんだ、気持ちいいではないか。
刺激と圧は「ちょうどいい」、そのまま安眠さえできそうな塩梅である。ああ、足つぼマッサージとはこんなに素晴らしいものなのかと、本当に思えた。ただただ幸福を享受していると、スクリーンに映る物語上で警告が解除され、「バァァック(Back)」と声がかかり軍人は退いた。この時の筆者の頭にあったのは「余裕」どころではない。「刺激が足りないからもっと来いよ!」とさえ思っていた。
しかし、2回目は違った。ネタバレになるので詳細は省くが、スクリーン上では1人の若者が絶望的な状況に陥り、警告を何度も受けている。そのことはかろうじて耳に入ってはいる。しかし、その時の筆者の脳内の99.9999%を占めているのは「痛ぇ。ただひたすらに痛ぇ」である。
スクリーンは目に入っていない。ていうか目を開けらていられない。身体全体が反り上がり、身悶えまくるしかしかない。脳細胞の全てが「この場から逃れろ」と訴えかけており、自身からは(警告を回避するために)抑えようとしても抑えきれない「ふぐぉ」「どぅほう」など今まで発したことがないうめき声が漏れており、さらには他にも参加者たちからの「アハッ」「ヒッ」など若干の嬉しさも紛れたような声も届く。教官からは「1番、1回目」「2番、1回目」などの警告も聞こえてくる。ここは地獄か。
救いとなったのは、この上映イベントが映画のタイトルが映し出されるまで、25分程度で終了したことだろう。
しかし、その上映の終了と同時に映画の予告編が流れ、追い討ちと言わんばかりに3回目の足つぼマッサージが行われた。そこでの苦痛は言語化不可能だ(痛すぎてほぼ意識が飛んでいたから)。総じてこの上映方式は、ただただシンプルに「映画を観るどころではない」と結論づけられる。これが全編の108分にわたって続いてたら、間違いなくギブアップしていただろう。
しかし……取材帰りの足取りはとても軽かった。特に土踏まずとふくらはぎには、痛みではない、「気持ち良さの余韻」が確実に残っている。確実に足つぼマッサージが効いていたのである。良かった。体験中は「いっそ処刑されたほうがマシだ」とさえ思える苦痛を味わっていた気もするが、終わってみれば本当に良かった(自分に言い聞かせるように)。
『ロングウォーク』本編は素晴らしい映画だった
足つぼマッサージ上映のとんでもなさを記してきたが、映画『ロングウォーク』の本編は至ってマジメだ。いや、かけ値なしに素晴らしい作品だった(筆者はこの上映イベント前に本編を全て観ていた)。
何しろ、本作は「たった1人を除いて死に向かうしかない」若者たちの姿を追う、表面的には残酷で悪趣味な内容ながらも、「生きる意味」のみならず、「権力への抵抗の意義」への思考を促してもくれる「青春映画」として完成されていたのだから。
基本的にはひたすらに「歩くだけ」の内容で、ともすれば地味になりそうではあるし、実際に若者たちのたわいもない(時に切実な)会話劇が主体となっている。
だが、その会話の中で、彼らがまだ年若い普通の青年であることがつぶさに伝わる。社会の歪みの中でも真っ当に生きようとしていたり、または自身の発言への後悔を口にしていたりと、この異常な状況下でのそれぞれの性格や成長が垣間見えてくるため、「誰1人として死んでほしくない」とさえ思えてくるのだ。
それでも次々に脱落者が現れるし、処刑シーンそれぞれが目を覆いたくなるほどにショッキングだ。原作者のスティーヴン・キングが今回の映画化にあたって提示した唯一の条件が「R指定の作品にすること」であったそうで、実際に若者たちが理不尽に死んでいく残酷さから「逃げなかった」ことも本作の美点だろう。
また、原作の『死のロングウォーク』は、(原作者のキングがはっきりと意識したものではなくとも)「ベトナム戦争に伴う国家公認の暴力による無意味な死と惨劇に対する寓話」として解釈されることもある。劇中の「若者が死に向かうことさえも美徳とする」ような価値観は、2026年の今のアメリカの社会を思えば、より国家への批判として寓意のあるものにも思えてくる。
また、実際に長い長い距離を歩き疲弊していく描写のリアリズムも重要だ。撮影はほぼ時系列どおりに進められ、出演者の衣装は次第に汚れて、精神的に疲れると共に互いの距離は自然と縮まっていったという。1テイクで出演者は実際に約1.2kmを歩いており、それを支える制作陣もまた“ロングウォーク”に参加しているかのような状態だったそうだ。
特に主演のクーパー・ホフマンは、共演者たちと「37度を超える暑さの中、日陰のないコンクリートの上を1日約24km、合計で約640km近く歩いた」と語っており、ある意味で本当にロングウォークが行われていたのだ。
それらの作品の精神性とリアリズムをもってして、やはりデスゲームものは往々にしてインモラルで残酷なようでいて、人の死を強く意識させることで、相対的に命の尊さと、その輝きを教えてくれるジャンルであると、改めて思うこともできたのだ。
そして、「友情の物語」としても本作は完成されている。このロングウォークを通じて育んだかけがえのない友情も、「たった1人だけが生き残る」ルールのために、それが絶対的に失われてしまうことがわかりきっている。
それを踏まえての、原作小説とは異なるクライマックスとラストに、筆者は涙を禁じ得なかったのだ。ぜひ、足つぼマッサージとは良い意味で無縁のままで、映画本編を楽しんでほしい。
参考:The Long Walk (2025) - Trivia - IMDb

