この映画がこの世に誕生してしまったことが大きな「罪」だ。アニメ映画史に残る大炎上となった『新劇場版☆ケロロ軍曹 復活して速攻地球滅亡の危機であります!』(以下、『新劇場版☆ケロロ軍曹』)を観た直後に筆者が思ったのは、それほどのことである。
前置き:決して全てが悪い作品ではない
レビューサイトでは酷評が相次いでおり、ファン向けのアニメ映画が高スコアになりやすいFilmarksでも5点満点中2.3点、映画.comにいたっては1.4点というスコア(7月中旬時点)。これは尋常なものではない。筆者の肌感覚ではあるが、レビューそれぞれからは「叩いていいと認定した作品を、よってたかって叩く」ようなものではない、ファンたちの心からの失望、または憎悪とも言える感情が伝わってきた。
ただ、最初にはっきりと申し上げておくが、『新劇場版☆ケロロ軍曹』は決して全てが悪い作品ではない。キャラクターデザインはとてもかわいいし、アニメとしての作画は安定していて、終盤のバトルの画は見応えがあるし、別の侵略者への戦いと友情を描く流れは過去の『ケロロ軍曹』の劇場版を踏襲している。
また、オープニング映像は秀逸であり、無料公開されているYouTube動画のコメントでは、「この映画唯一の見どころを無料で公開する懐の広さに感動を禁じ得ない」「これ見たらあとは帰っていい映画」「映画内で1番良かったところ見せてくれるのか」など率直な称賛のコメントが並んでいる。
何より、真に問題と言える場面は、109分の上映時間中のわずか約5分間程度のことだ。後述するように問題点の多いパロディの中にも、思わず笑ってしまった、アイデアも含めて面白いと思ったものもある。従来のキャスト陣はもちろん、ゲストキャラを演じたSixTONESのジェシーも「1人2役」を見事にこなしていた。間違いなく素晴らしい仕事をしたスタッフとキャストはいる、ということも明言しておきたい。
だが、そうした良い点を差し置いても、「最悪のタイミングでファンの逆鱗に触れる」ことと、そもそもの「このアプローチにGOを出した」ことがあまりに酷すぎて擁護は不可能だった。それは『ケロロ軍曹』という作品のみならず、総監督と脚本を手がけた福田雄一の過去の監督作まで貶める、非常に不愉快で、誰も幸せにしない、作品の良いところまで帳消しにするどころか、マイナスの底の底へと貶める暴挙だった。
皮肉なしで読み応えのある劇場パンフレットでは、「なぜここまでの事態から引き返せなかったのか」の理由の一端を知ることができる。それは、今後のアニメ映画に限らず、映像業界全体が今後の反省材料にするべき事項があったのだ。たっぷりと怒りを込めて、ネタバレ込みで語っていこう。
※以下より『新劇場版☆ケロロ軍曹』の本編のネタバレに多分に触れています。また、本作を文句なしに楽しんだ方は、不快に感じられる可能性があります。ご了承ください。
間延びしたパロディの連続とローテンションのツッコミに胸焼けする
まず、本作の大きな問題として、シンプルに退屈でつまらないことが挙げられる。その理由は「パロディのキャラやシチュエーションを次々と登場させる」ことを優先するあまり、物語にメリハリがなく平板だからだ。
さらには、シソンヌ・長谷川のナレーション……というよりも「テンション低めなツッコミ」がひっきりなしに続くため、パロディおよびツッコミにクスッとできたとしても、すぐに飽きるか胸焼けがしてしまう。
そのシソンヌ・長谷川のしゃべり方が、過去の『ケロロ軍曹』での故・藤原啓治のナレーションとは、ペース配分もトーンも大きく異なるのも問題だ。そちらも確かにメタフィクション的なツッコミを入れることはあったが、ごく限られた時のみであったし、しゃべり方そのものに勢いとキレがあった。だが、今回の気だるさのあるナレーションは、そちらに寄せようとする意志がまったくみられない。
実際に劇場パンフレットでは、シソンヌ・長谷川は「藤原啓治さんのマネをしようかなと一瞬思ったんです。でもマネージャーと相談して、逆に過去の映像は一切観ませんでした。変に寄せてもうまくいかないだろうから、自分らしくやって、『叩かれてもいいや』という気持ちで収録に臨みましたね」などと語っている。ご本人は同パンフレット内で自身の役の「ハードルの高さ」も語っているし、そのアプローチでのベストを尽くしたのだろうが、「叩かれてもいい」という気の持ちようで挑んだことがそもそも問題だったのではないか。
結果的に、本作は多すぎるパロディと、それに対するツッコミで「水増し」されている印象が強い。何より、話の内容は60分くらいで収まるような薄さなのに、テンポが悪すぎて109分まで伸びているのがつらい。これまでの劇場版は同時上映の短編込みで同じくらいの上映時間でテンポも良かったので、余計にダラダラとした印象を強めてしまっているのがひどく残念だ。

