電力にも通信にもあるのに、なぜ火葬場だけ「ルール」がないのか――。東京23区の火葬の約7割を担う東京博善について、米系ファンドへの売却観測が報じられたことで、「外資に日本人の最期を委ねるのか」との議論が広がっている。しかし、この問題の本質は外資ではない。独占的な公益インフラでありながら、長年にわたって法整備を怠ってきた厚生労働省の"不作為"こそが、いま問われている。
日本人の最期を外国資本の「マネーゲーム」に委ねるのか
火葬場は、人が死を迎えた瞬間から逃れることのできないインフラである。病院でも電力でも水道でもなく、「人の死」そのものに直結した事業だ。需要は景気に左右されにくく、新規参入は非常にハードルが高く、遺族が個別に価格交渉する余地は事実上、乏しい。
そのような事業を、民間企業である東京博善が東京23区の火葬の約7割を担う圧倒的な最大手となっており、しかも親会社の広済堂ホールディングスでは、中国出身の実業家・羅怡文氏の資産管理会社などが大株主となり、羅氏自身も代表取締役を務める体制となった。
そしてFACTA ONLINEは2026年5月21日、今度は米系ファンドへ1500億~1800億円規模の売却案が検討されている可能性を報じた(ただし広済堂ホールディングスは、報道内容について「東京博善を売却する意向を固めた事実はない」「現時点で決定した事実はない」と否定している)
投資ファンドがリターンを追求し、企業価値を最大化してエグジットを図ること自体を非難するつもりはない。また、日本人の最期を外国資本の「マネーゲーム」に委ねるのか、という批判も噴き出しているが、問題の本質はそこではない。
こうした公益性の高い事業でありながら、親会社の株式譲渡による実質的な経営権の変更や、料金の妥当性を事前に審査する全国一律の仕組みが十分に整っていないことが問題なのだ。
電力も通信も、独占性の高いインフラには必ず基本的なルールがセットで設けられる。それが自由主義経済における最低限のガバナンスである。
なのに火葬事業だけが、なぜか1948年制定の墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)の下で経営許可や立入検査などの規定はある一方、資本関係の変化や料金設定を直接統制する仕組みが乏しいまま、制度の抜本的な見直しは行われてこなかった。
すなわち厚労省の対応の遅れが法的空白を温存したといえる。
厚労省が長年黙認してきた現実の乖離
そもそも、この問題には根本的な矛盾がある。
墓埋法第1条は「公衆衛生その他公共の福祉」を目的として掲げる。そして昭和43年(1968年)・昭和46年(1971年)の旧・厚生省通知は、火葬場の経営主体を原則として地方公共団体とし、宗教法人・公益法人に限り例外を認める方針を明示している。
つまり制度の建て付けとしては、新規許可の運用上、営利企業は原則想定されていないわけだ。
ところが東京博善は、株式会社である。
墓埋法制定前から株式会社として火葬場を経営してきた東京博善が、現在も事業を継続しているため、民間企業が参入しにくいルールの下で、民間企業が独占を維持する。親会社・広済堂ホールディングスの大株主には、麻生グループの株式会社麻生も名を連ねる。
こうした特殊な資本構造を持つ企業が、1921年の設立以来100年以上にわたって東京の火葬インフラを握り続けてきた。「原則は地方公共団体」という建前と、「民間企業が実質支配する」という現実の乖離を、厚労省は長年黙認してきたのだ。
そして今、この矛盾の上に、羅氏関連会社が筆頭株主となったことと、米系ファンドへの売却観測という問題が積み重なっている。
2026年6月3日、東京23区の区長で構成される特別区長会と東京都は連名で、厚生労働省に対して「民間火葬場の経営権変更に対する行政の関与に関する要望」を提出した。
要望の核心は単純明快である。火葬場を直接運営する法人の親会社が丸ごと外資に売却されても、現行法では新たな経営許可は不要とされている。この制度上の穴を塞いで、実質的な経営権の変更時に監督官庁の許可・承認を義務づけるよう求めるものだ

