1993年、山形県新庄市の旧明倫中学校で、丸められた体育用マットに逆さに押し込まれた状態で亡くなった1年生の児玉有平さん(当時13)の遺族に対し、裁判所が事件に関与したと認定した7人の元生徒からは謝罪は今もない。被告側を支援する弁護団は「冤罪だ」との主張を続けている。
謝罪や真実を語る機会を7人に与えてきたという父・昭平さん(77)は、裏切られたとの思いと、それでも謝罪の言葉を聞ける日が来ることを望む気持ちをともに抱えている。
弁護団は「元少年7⼈が無罪を勝ち取るために引き続き頑張っていく」
7月15日、元生徒7人のうち3人を昭平さんが訴えた3回目の損害賠償請求訴訟で、山形地裁が2005年に確定した賠償金約5760万円に遅延損害金を加え、被告3人に総額約1億1260万円などを支払うよう命じた。判決の直後、被告側弁護士は地元メディアに、
「今回当事者になっていない⼈も含め、元少年7⼈が無罪を勝ち取るために引き続き頑張っていく決意である」
という趣旨のコメントを出した。
だが今回の裁判は、昭平さんが7人を相手に起こした損害賠償請求訴訟で2004年に仙台高裁が賠償を命じ、2005年に最高裁で確定した判決が基になっている。賠償命令に従わなかった7人のうち、給与の差し押さえもできなかった3人を相手に昭平さんが時効による賠償請求権の消滅を防ぐために昨年11月に起こしたものだ。
その法廷でも「無実」を理由に請求棄却を求めた被告の主張を、山形地裁の宮崎謙裁判官は、前段の確定判決に反した主張を展開すること自体「信義則上、許されない」と退けた。
それでも弁護士のコメントのように、被告側に態度を変える気配はない。昭平さんは、
「国か第三者機関がまず被害者側に賠償金を支払い、その後で加害者から取り立てる制度の導入を日本でも検討してほしい」
と話し、過去に元少年側にかけた“温情”を悔やむ。
「民事訴訟で敗訴が決まっても彼らが賠償を払おうとしなかったとき、僕の弁護士から『彼らはまだ若いが、これから結婚して自分の子どもが生まれたら、その子が殺されたらと考える気持ちも芽生えてくるだろう。それまで気長に待ってあげよう』という声が出ました。
そうした心変わりを彼らがする時間を提供したつもりでした。こちらは人間性善説でね。ところが、未だもってそこには至らずということなんです」(昭平さん、以下同)
「朝起きて最初にやることは仏壇の遺影に手を合わせることです」
元少年たちの側には事件直後、少しだけ誠意を感じるふるまいをする人もいたという。
「事件が起きた93年1月13日は火曜日でしたかね(※実際には水曜日)。その同じ曜日に合わせて、ある一人の少年の父親が花とお線香を持って来ていたことはあります。
4、5回は来たのかな。途中から来なくなりました。7人の少年たちは容疑を否認するなかで互いにアリバイを証言するような供述を始めるのですが、そのころから(少年の父親は)来なくなったんじゃないですかね」
それから33年。事件がなければ有平さんは今47歳になっていた。昭平さんはその有平さんと今も「ともに生きている」という。
「朝起きて最初にやることは仏壇の遺影に手を合わせることです。お誕生日のお祝いもするし、彼が生きてたらこういう分野で活躍しただろうな、ということにも色々関心を持っています。
有平は漫画とかクリエイティブな仕事を目指していました。小学校6年生の時の作文には、何歳でこれをやって、何歳になったら映画監督になって映画を撮る、とか書いてありました。47歳だったら本当に働き盛りだったはずなんですね。その活躍が見られなかったのは本当に残念です」

