新庄の子どもたちのために働くという意志を保ち続ける昭平さん
もともと昭平さんは、山形県内の別の場所で幼稚園を経営していた父の後を追って同じ仕事に就き、新庄市にやってきた。
「新庄は今は山形新幹線も届くようになりましたが、昔は交通の便も悪くてね。その新庄の人から『新庄には幼稚園も保育園も足りなくて子どもが入れなくて困ってるから是非とも作ってくれ』とお願いされた親父が聞き入れて、1977年に28歳だった僕が責任者としてここへ来て幼稚園を開園したんです。
開園と同時に60人が、翌年には90人の子が入園してきました。困ってる人がたくさんいるからぜひとも作ってくれって言われたのは本当だったんだな、と思いました。それからここで、なんと言われようと子どものために最善を尽くすだけでした」
開園の約3年後に生まれた有平さんが通い、いじめや事件の現場になった明倫中学校は、その幼稚園のすぐそばにあった。それでも新庄の子どもたちのために働くという意志を保ち続けたという昭平さんは、
「僕は有平の事件が起きてすぐ、周りの人に言いました。『有平と幼稚園は天秤にかけない』って」
と話す。
まだ気配は見えないが、今からでも7人のうち1人でも2人でも自分に向き合う態度をとれば、昭平さんや家族には救いになるだろうか。そう尋ねると昭平さんは。
「なりますね。まだ(その言葉を)聞いたわけじゃないからわからない、想像するしかないわけなんですけど、どれだけ僕らの救いになるのか、想像もつかないぐらいです。ただ、そうやっても有平が戻ってくるわけではありません」
と苦しい胸のうちを口にした。
漫画やアニメの制作に携わる夢を語っていた有平さんは亡くなる少し前、自画像を描いていた。その自画像を表に、裏には昭平さんと妻ら遺された家族4人の名を刻んだペンダントを、昭平さんは大事に持ち歩いている。
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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班

