無理にIMAXで観なくてもいい、だがマナー違反を回避できる可能性は高いかも?
筆者はIMAXで本作を鑑賞したが、結論から言えば、無理にIMAXを選ぶ必要はまったくない。「このデフォルメ表現の効いた絵を、微細な描写を克明に映すIMAXで……?」という疑問はつきまとったし、具体的にはチラシの文言の「〜〜(波ダッシュ)」の省略された表現が、よりはっきり見えて気になったりもした。
しかしながら、本作の重大な魅力に「音」がある。主題歌や挿入歌は言うまでもなく、漫画という媒体では表現しきれない「耳で聴いてこそ」のものであるし、さらには「打撃音」にかなりの迫力がある。IMAXで観ると、それらの音がよりダイレクトかつ全身に届く感覚もあったのだ。
しかも、絵柄はシンプルでかわいい一方、アクション場面の作画のクオリティーはしっかり「劇場で観るべき」ものだった。IMAXで端から端まで広がる大画面で、入魂のアニメーションを堪能する価値もあるはずだ。
何より、IMAXでは通常の上映よりも座席に余裕がある印象の上、筆者が観た回では誰一人、劇場マナーに反する行為をする者はいなかった。もちろん一概に言えることではないが、「上乗せ料金も払って作品を楽しみたい人」が集うIMAXでは、マナー違反の客に遭遇する可能性は低いのでは……とも思う。
また、エンドロール後に重大なおまけがあるので、最後まで席に座っておいてほしい。
さてさて、これ以上の予備知識はなくてもいい、というくらいであるし、原作者のナガノも「(何も)知らなくてもいい」ことをアピールしている。
それでも、筆者が大いに感動した理由を、本編の内容に触れつつ記していこう。
※以下、『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』の決定的なネタバレは避けていますが、一部の重大な要素と展開に触れています。
『火の鳥』のアンサーというべき「永遠のいのち」をめぐる物語
本作のあらすじは、島へ招待されたちいかわたちが楽しい時を過ごす……ものの、伝説の生物・セイレーンと出会い、「仲間の人魚の1匹が島民に食べられてしまったので、その犯人探しをしている」事実を知らされる、というのものだ。しかも、人魚の1匹が食べられた理由として推測されるのは、「人魚の肉を食べると永遠のいのちが手に入る」といううわさだった。
それは若者たちに人気の「謎解き」「推理要素」とも言えるが、物語の本質ではない。必然的にちいかわたちはセイレーンと島民たちの「仲裁」に近い立場に置かれ、複雑な心境に追い込まれ、重大な選択に迫られるというドラマこそが、真に重要だったのだとわかるだろう。人によっては松本清張や横溝正史原作の映画のような趣も感じられるのではないか。
そして、「永遠のいのち」をめぐる物語の代表例には、言わずと知れた手塚治虫の代表作『火の鳥』があり、その中でも特に『未来編』は生き続けなければならない苦しみが克明に描かれている。その他の作品でも、不老不死は「人間の悪しき欲望」のように否定的・批判的に描かれることも多い。
この『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』でも、セイレーンから「犯人への罰」として「カラダピッタリのオリに入れて、深くてくらーいとこで、『永遠のいのち』を味わってもらうの」ということが語られており、不老不死であることの恐ろしさをはっきりと示している。
しかし、ネタバレになるのでここでは伏せておくが、本作は「永遠に生き続ける」ことについて、ただ怖いだけではない、とても複雑にして深淵な価値観を投げかける物語を展開していく。それは『火の鳥』および数多の「永遠のいのち」の物語に対する、意外でありながら誠実でもあるアンサーであり、だからこそ筆者は涙したのだ。

