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「おまえ一人の人生なんてどうにでも潰せるんだ」九大医学部生時代に逮捕され、脅された中村哲が、完全黙秘を貫いた23日間

「おまえ一人の人生なんてどうにでも潰せるんだ」九大医学部生時代に逮捕され、脅された中村哲が、完全黙秘を貫いた23日間

逮捕、勾留、完全黙秘――。のちにアフガニスタンで壮大な灌漑事業を展開し、多くの人びとの命を支えた中村哲は、九州大学医学部生時代、ベトナム反戦運動の渦中にいた。原子力空母エンタープライズの佐世保入港、米軍ファントム偵察機の九大墜落、脱走米兵との出会いといった、青年・中村哲の原点ともいえる日々。

今年度の「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した、山岡淳一郎の『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉

原子力空母エンタープライズ入港

1960年代後半、社会は騒然としていた。

世界中で若者の反乱が起きていた。

共通するのは、「ベトナム戦争」に反対する大きなうねりだった。

アメリカは、東南アジアの共産化を防ぐという大義を掲げて、北ベトナム(ベトナム民主共和国)と対峙する南ベトナム(ベトナム共和国)の内戦に介入した。ゲリラが潜む密林を丸裸にしようと猛毒のダイオキシンを含む枯葉剤を撒き、第二次大戦時に米軍が日本に投下した爆弾の50倍にあたる790万トンもの鋼鉄の雨を降らせる。

全米で若者たちがデモをおこない、反戦を訴え、徴兵を拒否した。

そして、日本でもベトナム戦争に加担する政府への抗議と反戦運動がくり広げられる。日本はアメリカと日米安全保障条約を結び、基地を提供している。本土復帰前の沖縄の米軍基地からは戦略爆撃機のB-52が飛び立ち、ベトナムを空爆していた。

1968年(昭和43年)1月18日、中村の母・秀子から若松の玉井行人(※中村哲の従弟現、J3ギラヴァンツ北九州会長。以下、※は筆者注)の家に電話がかかってきた。行人は、そのときのことを鮮明に覚えている。電話を受けたのは行人の母・貞子だった。

「うちの哲が、そっちに行っとらんかねぇ。もう何日も帰ってこんとよ」

と秀子は貞子に尋ねた。

「ええーっ。来とらんですよ」と貞子は答えた。

「おかしいなぁ」と秀子は電話を切った。その夜、もう一度、電話がかかってきた。

行人は、秀子と母のやりとりをこう語る。

「テレビのニュースば見よったら、哲が映っとった、と秀子さんはうちのお袋に言ったんです。あの日、長崎の佐世保で、全国から集まった学生たちが、アメリカの原子力空母エンタープライズが入港するのを阻止しようとデモ闘争をしていました。そのデモ隊のなかに哲さんがいてテレビ画面に映ったんです。電話を切った後、お袋は、哲ちゃんもなぁ、心配ばかけて……。中村家の男ん人は、秀子さんの寿命ば縮めよる、と嘆いていました」

18日には、野党の共産党、社会党、公明党までも佐世保市内で寄港反対の抗議集会を開いた。中村の母の秀子が心配して玉井家に電話をかけてきたのは、このころだった。

中村と宮﨑(※信義 中村哲の親友、現・久山療育園重症児者医療療育センター理事長)も、佐世保のデモの渦に巻き込まれた。宮﨑が記憶を呼び覚ます。

「佐世保橋の前で、わたしたちもデモをしたんです。機動隊が押し寄せてきて、ガス弾を撃つでしょ。バーン、バーンと破裂して、催涙剤が飛び散る。痛くて目が開けられない。咳も出ます。飛び散った化学薬品が直接、皮膚にかかったら火傷をするんですよ。われわれはノンセクトなので『反帝国主義』とか『日帝打倒!』なんて書いたセクトの旗は持たないで、ただひたすらベトナム戦争反対を叫んでいました」

1月19日、エンタープライズは入港予定日から一日遅れて、佐世保港に7万5700トンの巨体を現した。海の要塞は、学生と機動隊の衝突などどこ吹く風と港に錨を下ろす。長崎県警の調べでは、3日間の騒乱で逮捕者は69人、そのうち学生64人、右翼が5人だった。社会を震撼させた原子力空母は、23日に佐世保を出港し、日本海へ出動した。

ファントム偵察機、九大に墜落

同じ年の6月2日夜10時48分ごろ、福岡湾岸に「ドッカーン」と耳をつんざく轟音がとどろいた。実家を出て名島寮(※九州大学YMCA学生寮、現・一麦寮の前身)に入寮していた中村と宮﨑は、思わず飛び上がった。何ごとが起きたのか、と寮生が1階の食堂を兼ねたホールに集まっていると「米軍の戦闘機が箱崎の工学部キャンパスに落ちたらしい」と人づてに聞こえてきた。

中村と宮﨑は、寮を出て裏の坂道を上がり、多々良川に架かる名島橋を渡った。箱崎の工学部まで1.5ロの距離がある。工学部に近づくにつれ、焦げくさい臭いが漂ってきた。

箱崎キャンパスに建設中の6階建ての電子計算センターが燃えていた。

米軍の板付飛行場(現・福岡空港)に属するRF-4Cファントム偵察機が、飛行場への着陸を誤って、電算センターの屋上に墜落したのだ。機体は工事中の建物に引っかかったまま炎上している。

この日は日曜日だったので工事現場に人影はなく、2人のパイロットも墜落寸前にパラシュートで脱出し、人的な被害はなかった。が、もしもタイミングが何分の1秒かずれて、人家がひしめく街なかに機体が墜落していたら、一面、火の海になって死傷者が出ていただろう。

中村と宮﨑は校門に近寄り、なかに入ろうとした。その瞬間、身がすくんで立ち止まる。

あたりをガードしていた数人のアメリカ兵が、駆け寄って、いっせいに身構えた。

カシャッと音がして、米兵たちは、自動小銃を2人に突きつけたのだ。

「もう、びっくりしました。自分の大学に戦闘機が墜ちたのですから、現場を確かめたいのは当たり前でしょう。それなのにカービン銃みたいなのを向けられて、構内に入れんのですよ。怖くてガタガタ震えました。戦慄と同時に日本は戦争に負けて一時期、アメリカに占領されたけど、1952年に独立したんじゃないのか、米兵はよその国で、こんなことをするのか、と怒りがこみ上げてきました。もちろん、哲君も怒ってましたよ」

と宮崎はつい昨日のことのように言う。

工事現場にひっかかったファントムの残骸の処理をめぐって、九大は「大学の自治」という試練を突きつけられる。大学当局は、米軍をキャンパス構内に入れず、自主的に機体を引き降ろす方針を立てた。

しかし、引き降ろしに反対する学生たちは、現場に宙づりの機体を「反戦のシンボル」として残せと主張し、8月1日、工事中の建物のまわりにバリケードを築き、立て籠もる。

12月21日午後8時、箱崎の九大本部で、学生自治会の代表と、中核派など約70人の学生が、総長や副学長らを相手にファントム機引き降ろしの撤回を求めて交渉を始めた。

この交渉の場に医学部自治会の委員、中村哲もいた。過激な学生が教授たちを帝国主義の手先と罵るのを横目に、中村は平和とは何か、穏やかなトーンで語りかけた。

その中村の演説を、「こいつ、他の奴らと違うな。話が心にしみるなぁ」と聞き惚れる男がいた。中村より3学年上の九大経済学部の大学院生、佐藤誠(現・熊本大学名誉教授)だった。

徹夜の交渉が終わると、佐藤は、血のついたタオルを首からぶら下げた中村に近づき、「きみの演説、気に入った。うちに遊びにこないか」と声をかけた。「ああ、どうも」と中村は照れた。佐藤がクリスチャンだと知って、中村は打ち解け、結婚したばかりの佐藤の家に足を運んだ。

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