月550万円を売れる一杯とは? 店主を悩ませた家賃の壁
実は、「札幌 六坊」の閉店を決断したのは今年に入って間もない頃だったという。
「1月ぐらいから、『もうこのままじゃ難しいな』と考え始めました。本当は4月、5月ぐらいにはリニューアルできればと思っていたんです。でも全然決まらなかった」
最初に有力だったのは、背脂ラーメン専門店だった。限定営業でも好評だった一杯を軸に据えようと考え、試作を重ねた。商品写真を撮るためにカメラマンまで呼び、撮影も済ませた。
ところが、最後の最後で首を横に振った。
「違うよね、ってなっちゃったんですよ」
その判断の背景には、店を経営する立場ならではの現実があった。
「この場所で(月商)550万円売れるラーメンは何か」
「渡なべ」の家賃は約20万円。一方、「札幌 六坊」は約55万円だ。
「飲食店って、家賃は売上の10%以内に抑えたいんですよ。だから、この店なら最低でも月550万円は売らなきゃいけない」
つまり考えるべきは、「自分が作りたいラーメン」ではない。この場所で、多くのお客さんにわざわざ足を運んでもらえるラーメンは何か。それだった。
「高田馬場駅から少し歩く場所でしょう。ふらっと入る立地じゃない。だったら『わざわざ食べに来たい』と思ってもらえる商品じゃないといけないんです」
背脂ラーメンは美味しい。しかし、樹庵さんは、新宿や渋谷なら成立してもこの場所では違うと判断した。ラーメンそのものだけではなく、立地、家賃、客層まで含めて考える。ラーメン職人であると同時に、一人の経営者としての決断だった。
実は「渡なべ」ブランドには、短命に終わった店がいくつかある。
渋谷・麺喰王国に出店した「[keiz]」。
西早稲田の「TOKYO NOODLE 六坊」。
どちらも約2年で営業を終えている。しかし、その理由はいずれも「立ち退き」だった。商業施設の閉館や建物の事情によるもので、今回とは事情が異なるという。
でも今回は違う。「油」ですべてが変わってしまった。
「完全に予定外でした」
そう苦笑する樹庵さんの表情からは、悔しさがにじんでいた。
ところが、不思議なことに、取材が進むにつれて樹庵さんの表情は次第に明るくなっていった。話題は、新しい店の構想へ移っていく。
「ラーメンって、正解が一つじゃない」
新ブランドの名前は「ROKUBO TOKYO」。看板は二枚。
一つは、岡山の名店「天神そば」をオマージュした鶏主体の中華そば。もう一つは、大分県佐伯市のご当地ラーメン「佐伯ラーメン」だ。
どちらも、全国のラーメン文化を長年研究してきた樹庵さんらしい選択である。「天神そば」をオマージュした中華そばも、(大分)佐伯ラーメンも一般から見ればマニアックだ。
しかし、一つ一つはマニアックだったとしても、二枚看板で戦えば月550万円は達成可能と考えた。さらに今回の取材で印象的だったのは、新ブランドそのものよりも、その背景にある考え方の変化だった。
「昔は、各地のご当地ラーメンを“自分の技術の中で”作ろうとしていたんです」
若い頃は、「世の中にないラーメンを作りたい」という思いが何より強かった。「渡なべ」で濃厚魚介豚骨という新しいジャンルを確立したことは、その象徴でもある。
だが今は違う。
「その土地のラーメンって、どういう考え方で作られているんだろう。どういう技術を使っているんだろうって、そこから考えるようになりました」
全国を歩き、店主と話し、昔の資料を読み込み、動画を見て研究する。そこで得た技術を、自分のものとして吸収していく。
「今でも『こんな作り方があるんだ』って思うことがある。それが楽しくてしょうがないんですよ」
樹庵さんの考え方に大きな影響を与えたのが、多くのラーメン職人との交流だった。
「ラーメンって、正解が一つじゃないんですよ。職人の数だけやり方がある」
以前の自分なら取り入れなかったような技術も、今では積極的に学ぶ。
「昔は余計な知識はいらないと思っていたかもしれない。でも今は違います。師匠は一人じゃない。全国にいるんですよ」
その言葉を聞いていると、「札幌 六坊」の閉店は、決して後ろ向きな出来事ではなかったように思えてくる。
失敗を経験したからこそ、新しい知識を貪欲に吸収し、新しいラーメンへとつなげていく。その姿勢こそ、24年間第一線で走り続けてきた理由なのだろう。

