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【大名リストラ地獄】秀吉の「お気に入り」で決まる非情な人事! 秀長が泣きつかれた戦国サラリーマンたちの左遷と冷遇

【大名リストラ地獄】秀吉の「お気に入り」で決まる非情な人事! 秀長が泣きつかれた戦国サラリーマンたちの左遷と冷遇

大名たちの「駆け込み寺」だった秀長

こうした理不尽な人事が横行する豊臣政権において、大名たちが泣きついた先が弟・秀長だった。

「徳川家康や伊達政宗など外様大名を多く抱えていた豊臣政権において、秀長は秀吉と大名の間を取り持ち各大名間の調整役を果たすなど、前期豊臣政権の安定には不可欠な存在だった。『内々の儀は利休に、公儀の事は秀長に』という言葉が示す通り、理不尽な辞令に困り果てた大名たちの、いわば『人事部への直訴窓口』が秀長だったのです」(歴史評論家)

近年では、秀長家臣団が担った取次機能についての研究も進んでいる。

取次は毛利氏や長宗我部氏といった外様大名に対し秀吉・秀長兄弟の意向を伝えつつ、相手の要望や事情も吸い上げる役割を持ち、書状の文言を整え、面会の場では双方の顔を立てながら話を運ぶ役割を担っていた。現代でいえば「経営陣と現場社員の間で板挟みになる中間管理職」そのものだ。

秀長が1591年に亡くなると、この「駆け込み寺」的機能は永遠に失われた。その後の豊臣政権では、「文治派vs武断派」の対立が噴出し、大名間の調整ができなくなっていく。「デキる副社長」を失った組織の末路は、400年前から答えが出ているのである。

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配信元: 週刊実話WEB

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