圧倒的な旅立ちを見せた料理家・舘野真知子の存在。「食卓を囲もう」に込めた、自分らしい生き方の追求

退院後、急変の4月。

ー春先からご自宅で療養されていたんですね。

小林さん 2月末から3月にかけて入院して、その後は自宅で過ごしていました。彼女は10年ほど前に大病をして、それ以来、仕事を含めていつも「自分の人生で、あと何ができるだろうか」と考えているようなところがあったんです。

この何年間もずっと元気だったんですが、去年の夏に一度体調を崩して入院して、そこから一層真剣に、自分がやるべきことに集中して積極的にやっていきたいと話してました。その後はしばらく体調も良くて、お酒も飲んだりして、2月末に入院するまでは普通に過ごしていたんです。昨年末には新しいプロジェクトとして、自宅を開いて料理をふるまう「ままごとや」という食のプロジェクトを計画していたくらいでした。

松本さん そうでしたね。ちょうどこの本(『がんばりすぎない発酵づくり』)のお話が決まった頃で、「ままごとや」を考えながらも春はまず本作りだね、と話してました。でも3月に退院した後くらいから具合が悪そうな日が増えて、「なんだか調子が戻らないんだよねぇ」と言ってた時もありました。

舘野さんは長い間、子どもたちに味覚について知ってもらう食育プログラムも行なっていた。

(広告の後にも続きます)

自宅療法の中でプロとして続けた仕事

小林さん 2021年頃から左腕がうまく動かせなくなり、今年の退院後も、腕の痛みを和らげる痛み止めで、寝ている時間が増えていました。起きてる時はいつも通りなんですけど、でも長い時間寝てしまうと、起きた時に少し意識が混濁する時もあったりして、本人も戸惑ってしまうことがありました。顕著に体調が悪くなったのは今年の4月初め頃。松本さんが来て、自宅で料理の撮影がある日でしたね。

松本さん 4月12日でした。その日は先生おひとりで撮影する予定でしたが「ちょっと自信ないからヘルプしてほしい」と連絡があり、サポートしにうかがったんです。でも来てみたら先生はとても具合が悪そうに横になっていて、「できることは私がやるので休んでいらしてください」と声を掛けました。作業のためレシピがどこかと聞いたら「まだ途中までしかできてない」と言われたんです。予定までにレシピができあがっていないなんて、先生に限っては過去に一度もなかったので、あ、これはちょっとこれまでとは違うのかもしれない、と感じました。

ただそれでも、起きてる時はいつも通りの先生だったんです。明るくて、冗談もたくさん言ったりして。でもその頃「一つの仕事を終えてからじゃないと次の仕事が考えられない」とおっしゃって、この新著のための追加レシピ案もなかなか決められずにいました。なんとか、ひとつ考えては休み、またひとつ考えては休み。そんな時でも先生のアイディアはやっぱり素晴らしくて、編集の鈴木さんも「さすが舘野先生だね」と話されていたほどです。いま思えば、あれも奇跡的なことだったんですよね。

イタリアやアメリカなど、海外で日本食を紹介する活動にも取り組まれていた。

松本さん またスタイリングと撮影準備のために4月21日にご自宅にうかがった時は、訪問医さんやケアマネさんといった来客も続きました。先生も疲れてしまい、途中で昼寝をしたりしながら、なんとか翌22日の撮影準備を終えました。

この日ケアマネさんたちと話せたことは、あとあと先生の最後に付き添う時にすごく大きな助けになりました。でもわたし自身はこの日、先生がどうなってしまうのか心配で、帰りの電車の中で泣いてしまったことを覚えています。そして翌22日の撮影では、先生は午後からほとんど起きていることができませんでした。

小林さん 寝てる時間が長くなっても、起きて仕事をする時はしっかり覚醒していたので、松本さんから「22日の撮影中ほとんど寝てしまった」と聞いた時は、さすがに変だと思ったんです。すぐ病院の先生に電話したら、夜21時を過ぎていましたが訪問医の先生が来てくれました。しかしその時、連日診ていた訪問医の方から「残された時間はあと1週間ほど。その次の週末は分からない」と言われてしまったんです。まさかそんな、と言葉を失いました。

4年前、川崎のマンションから引っ越した葉山のご自宅は、たくさんの調理器具や食器が機能的に配置されている。引越して以来、舘野さんの味噌など発酵食はさらにおいしくなり、料理もどんどんシンプルになったそう。