「比較三原則」と「老いるショック」

また、ボケは余裕の産物なので、心を安らかにしておかなければなりません。これがけっこう、このストレス社会では難しい。年を重ねると、とかくシリアスになりがちじゃないですか。体にはあちこちガタがくるし、1人の時間が増えて余計なことを考えちゃう。

僕は「比較三原則」と呼んでいるんですが、自分と比べちゃいけないものが3つ! 他人と親と過去の自分。努めて比べないことです。「比較三原則」、心の平安のために、覚えておいてください。 

還暦以降、僕が頻繁に口にするようになったのが、「老いるショック」という言葉です。関節が痛いとき、ひざや腰を指差して、「老いるショック!」と声に出していうプレイです。

同世代の皆さんならご存じでしょうが、なつかしのクイズ番組『タイムショック』のように、「ショォ~ック」の部分を強調すると、なお陽気さが出ていいでしょう。老いをみずから宣言し、笑っていこうという提案です。

この言葉自体は20年ほど前に思いついたんですが、実際自分に老いるショックが来る日を待っていたのです。自分が実感してからでないと、他人にも勧められませんからねえ(笑)。

今は、誰もが認める高齢者に近づきましたから、1日いくつ「老いるショック」を稼げるか数えています。

探し物が見つからないのも、典型的な老いるショックですよね。

先日、読みかけの文庫本が見つからなくて終日探したんですが、翌朝、冷蔵庫を開けたらチーズの横で文庫本がキンキンに冷えていました(笑)。そのときは文庫本に向かって小さく、「老いるショック」といっておきました。

周りから、「大丈夫?」と聞かれたら、「ああ、平気平気。老いるショックだもの」と答える。ここは、ぜひ「だもの」をつけていただきたい。「にんげんだもの」的にね。

こんなふざけた受け答えを努めてしていれば、自分も相手も落ち込まずに済むんじゃないでしょうか。

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死ぬ間際にいう言葉を毎晩声に出して練習!

これまでも僕は、困ったときの呪文をいろいろ提案してきました。その1つに、「そこがいいんじゃない!」という言葉があるんです。

何を見ても、すぐ「つまらない」という人がいますでしょ。つまらないといった瞬間に、もっとつまらなくなってしまうことに、気づいていらっしゃらない。

だから、「そこがいいんじゃない!」という呪文を挟むんです。つまらないと思った瞬間に、「そこがいいんじゃない!」といい張る。すると、「つまらないところが、またよい」と、頭が誤解するんです。そういう自分洗脳のクセをつけておけば、つまらないことが減るんじゃないかなあ。

昔は、還暦まで生きることがすごく珍しかったから、みんなでお祝いしてたわけです。でも考えてみれば、実は今も変わらない。そこまで生きてこられたのは奇跡みたいなもんですよ。

だから、いつ死ぬかわからない前提で生きていく。そういう心持ちでいるなら、将来のことをアレコレ心配してもしかたないじゃないですか。ここは、「還暦過ぎたら、いつ死ぬかわからない」って、書初め用の長半紙に大書して、床の間に飾っておくといいですよね。

煩悩が、「家で死にたい」とか「ぽっくり逝きたい」とか、いろいろいってくるでしょうが、こればっかりは誰しもどうなるかわからない。

ただ、死の間際、最後に何をいうかって大事じゃないかと思うんです。死に際に、どんな言葉を発するかで、その人の人生の色合いがガラリと変わるんじゃないかなあ。

死に際にいい言葉を残せたら、偏屈だった人でも、かなり印象が変わると思うんですよ。最後に人生のつじつまを合わす気持ちでね。

でも、最後に何をいうか決まっていても、本番でちゃんといえるかどうかわかりませんから、僕は数年前から練習を始めたんです。

はじめは心の中で思うだけだったのですが、それだと、いざというときに口から出てこないおそれがある。なので、今ではちゃんと声に出すようにしました。 

毎晩、寝る前に「あー、楽しかった!」といってるんです。

小学生のころ、夏休みに友達と遊んで、メチャクチャ楽しかったときってあるじゃないですか。「あー、楽しかった!」って、思わず口について出るような。まさに至福の一日だったわけですよ。

そんな「子供時代の至福の一日」のひと言を、死に際に再現したい。それができるようにね。たとえ枕もとに親戚一同がいなくてもね、「いい人生だったんだ」と、最後のひと言で最後の自分洗脳を。そんなエンディングにしたいんですよね。