旬の花との出会いを求めて、国内外の名所・名園を訪ね続ける写真家の松本路子さんによる花旅便り。今回は、‘染井吉野’が咲き終えた頃、桜のシーズンの終盤を飾る八重桜。そのなかでも、原木のある場所や作出された土地にちなんで命名された八重桜の美しい写真とともに多彩な品種とその由来をご紹介します。

日本各地で開花する<里桜>


‘ヤマザクラ’ 『京都・平安京の桜 その①』より。

わが国にはヤマザクラやエドヒガンなど、野生の桜が10種(一説には9種)ほど分布している。野生の桜以外で観賞を目的とした栽培品種の数は、300とも400ともいわれている。それらは自然界で生じた変異や異種間での交雑でできたもの、人工交配によって作出されたものなどだ。


‘奈良の八重桜’ 『京都・平安京の桜 その①』より。

桜の栽培の歴史は古く、平安時代には「奈良の八重桜」や「枝垂桜」などが、宮中や貴族の邸宅に植えられていた。当時は突然変異した山の木々を移植するか、種を播く実生による栽培が主だったが、室町時代になると枝を接ぎ木して増殖する技術が生まれた。

栽培技術が急速に発展したのは、江戸時代。当時の画帳『花譜』(全5冊)には、252の桜の栽培品種が掲載されていて、江戸の園芸文化の豊かさを知ることが出来る。大名たちが全国から珍しい品種の桜の苗木を持ち寄り、植木商がそれらを盛んに増殖した。主に大名屋敷や神社仏閣に植えられていたが、明治維新後、これらの場所は荒廃していった。打ち捨てられた桜を自園に集め保存を図ったのが、駒込の植木職人高木孫右衛門である。彼の集めた桜は、1885年荒川の堤防が改修された際に移植され、のちに<荒川の五色桜>と言われるほど、多彩な桜並木になった。現在見られる桜の多くはここから全国に広がったものとされる。


森林総合研究所 多摩森林科学園の桜の頃(令和6年はサクラ保存林は非公開)。

八重咲きの栽培品種は<里桜>と呼ばれ、特に珍重された。それらの桜は原木のある場所や作出された土地にちなんで命名されることが多い。そうした<ご当地桜>を辿ってみた。現在、東京では、新宿御苑や多摩森林科学園などで、こうした桜を見ることができる。

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奈良の八重桜(ならのやえざくら)

百人一首で知られる平安中期の女性歌人、伊勢大輔(いせのたいふ)によって詠まれた次の歌は、奈良時代に八重桜があったことを教えてくれる。

「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」

野生のカスミザクラから生まれた八重咲きの栽培品種で、原木は奈良市の東大寺知足院で植物学者三好学によって発見され、1923年に国の天然記念物に指定された。原木は2009年に強風で倒れたが、後継木が多数増やされ、現在奈良公園の約800本をはじめ、奈良の各所で見ることができる。淡紅色の3cmほどの小さな花を多数咲かせる。