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【ひと駅の旅】土手にたたずむ100年の駅舎、『金八先生』を育んだ東武伊勢崎線「堀切駅」を歩く

【ひと駅の旅】土手にたたずむ100年の駅舎、『金八先生』を育んだ東武伊勢崎線「堀切駅」を歩く

工事中や工事予定の駅を訪ねて、その周辺に残された昭和を探す「ひと駅の旅」。今回は、都内でも珍しい木造建築の駅舎の残る、東武伊勢崎線の「堀切駅」。そこから隣の「牛田駅」までを歩いた。

この地は、TBSの人気ドラマシリーズ「3年B組金八先生」のロケ地としてよく知られている。それにしても、なぜこんな土手の際に駅が建っているのだろうか? その歴史を古い地図を参考に調べたところ、約100年前に壮大な放水路の整備が行われたことに由来していた。

・移転して100年

今回堀切駅を訪ねようと思ったのには、いくつか理由がある。まず1つが、改修工事が進む鉄道各線の駅を、記録として記事に残したかったためだ。木造駅舎は今や貴重な歴史的遺産である。その姿をこの目に焼き付けておきたかった。

それから桜の時季ということもあって、瀧廉太郎の「花」を思い出したから。この曲は墨田区の区民の愛唱歌に指定されているという。堀切から隅田川の方面へと歩き、この曲の作詞家・武島羽衣が見た景色をたどろうかと考えたからでもあった。

だが、私は知らなかった。「沼津工業高等専門学校」が公開している「ウェブで過去の地形図や空中写真を見る」で明治・大正期の地図を見たところ、現在のように荒川は流れていなかったということを。

私の認識していた荒川は実は「荒川放水路」であり、1910年の大洪水を受けて、人工的に作られた河川だったのだ。幅約5~600メートル、全長約22キロ。1924年に通水して100年を経ている。1902年開業時の堀切駅は、今の荒川の真ん中あたりにあった。しかし掘削に伴って今の場所、荒川の土手の瀬戸際に移転となったという。

つまりは「花」を作詞した武島と作曲した瀧が見た隅田川と、今の隅田川は違うのである。「春のうららの隅田川」、曲は歌い継がれているが、その隅田川はずいぶん様変わりしているのも興味深い。そんな歴史を知って興味が湧き、訪ねた次第だ。

・道路と線路と航路

その堀切駅は荒川放水路通水の年に、現在の場所に移されているので、川と同じく100年を経ている。しかしながら、現行の駅舎の建造年は定かではない。

木造の趣ある駅舎ではあるが、くたびれを感じさせず、むしろ現役としてまだまだやれそうな気配さえある。できることなら、このまま可能な限り存続してほしいところ。

ふと見ると、かたわらには宅配ボックス。駅は昭和でももうすぐそこまで令和が近づいてきている。いずれはもっと丈夫な建物に建て替えられることもあり得るだろう。

警笛が鳴って駅を特急「りょうもう」が通過していく。間近で列車を見られるのも小さな駅の醍醐味だろう。とはいえ、ぼんやりしていると危険なので、油断して近づきすぎない方が良さそうだ。

駅から荒川の方を見ると水門がある。「隅田水門」、荒川と隅田川を結んでおり、川は線路の下を流れている。信号があるということは、船が航行するのだろう。航行する船のための標識も掲げられている。

陸橋の上から鐘ヶ淵駅の方を振り返ると、首都高6号線が見える。ここは道路も線路も航路も複雑に絡み合っている場所だ。

川を西へと進んでいくと隅田川にたどり着く。隅田川を南下して行けば言問橋にたどり着き、隅田公園で「花」の記念碑を見ることができるだろう。

陸橋から堀切駅を見下ろすと、改めて駅の小ささがわかる。都内にありながらもまるで、ローカル線の駅舎を彷彿とさせる。私(佐藤)の地元(島根)にもこんな感じの駅があったから、妙に親しみを感じる。木造駅舎もあたたかくていいね。

また電車来た! 駅は地元と似通っているけど、運行本数は全然違う。この距離で何度も見てたら、子どもは電車好きになっちゃうだろうな。

うちの地元は単線で1時間に1本だったら、あまり電車に親しみを覚えなかった。そもそも車社会だから、電車に乗るのも稀だったし。いまだに地元では「汽車」というし。そのくらい関わりの薄い存在だったんだよな、電車ってね。

https://rocketnews24.com/wp-content/uploads/sites/2/2026/04/堀切駅改札外から.mp3

ちなみに金八先生の舞台となった桜中学は、堀切駅の目の前にあった足立区立第二中学で、現在は東京未来大学になっている。

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