西野亮廣が関わっていない部分は全てが素晴らしい
とはいえ、筆者個人は、西野亮廣という人への忌避感や、作品の外にある事情はひとまず横に置いておいて、作品として楽しめればいいと思っていた。実際に、この『約束の時計台』には、褒めるべきポイントがたくさんある。
何しろ、STUDIO4°Cによるファンタジックかつ煌びやかなビジュアルや、個性的なキャラクターたちの芝居は掛け値なしに素晴らしい。様々なイベントが立て続けに起こるため、エンタメとしての最低限の楽しさは保証されている。上映時間が98分とタイトで、早めに解放してくれるのも美点だ。監督を務めた廣田裕介、キャラクタースーパーバイザーの今中千亜季、音楽を手がけた富貴晴美など、スタッフそれぞれが最上級の仕事をしていた。
さらに、ボイスキャストも完璧で、特に新キャラクターである「モフ」役のMEGUMIは、ぶっきらぼうな態度の中に、豊かな感情を感じさせて愛らしい。メインヒロインの「ナギ」役の小芝風花も、素直になれない女性を好演し、見事な歌唱シーンも披露している。
そんな風に、前作に引き続き「西野亮廣が直接関わっていない部分は全てが素晴らしい」と断言できる内容だったのだが、一方で「西野亮廣が関わっているところ、特に脚本が前作に増してひどい」と言わざるを得ない。
何しろ、「世界観や物語運びの説得力に欠けている」という前作にあった問題がさらに加速し、さらには「メッセージが押し付けがましいだけでなく、倫理的な危うさがはっきりと表れている」上に、「前作にかろうじてあった主人公の成長までもが台無し」という、とてつもないことになっていた。
前作はまだ「まあ、メッセージ自体は真っ当だし、別にいいんじゃない」と肯定できなくもなかったのだが、今回はハッキリと子どもに見せたくないレベルである。
そんなわけで、ここからは『約束の時計台』をネタバレありで酷評する。本作を文句なしに楽しんだ方は不快に感じられる可能性があるため、ご了承の上でお読みになってほしい。
※以下から、『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』および、前作『えんとつ町のプペル』の結末を含むネタバレに触れています。
「時計のスピーチ」を前提とした物語
前作『えんとつ町のプペル』から感じていた問題は、メッセージの押し付けがましさはもとより、排他的な価値観が透けて見えることだった。何しろ「星」という「誰もが綺麗だと思うモチーフ」を用いて「夢」を肯定するため、「それを否定するものは絶対的に愚か」だと初めからわかりきっているという構図があったのだから。
その他にも、「自己啓発本のように主張を押し付けられているような感覚」があり、世界設定にもキャラクターの言動にも納得できないことが多かった。今回の『約束の時計台』でそうしたノイズになる要素が改善されていることを期待していたのだが、残念ながら本編の冒頭から早くも裏切られることになった。
何しろ、主人公・ルビッチがモノローグで冒頭および最後に話しているのが、2019年の近畿大学の卒業式で西野亮廣が話していた「時計の長針と秒針」のスピーチほぼそのままなのだ。
「時計の長針と短針が重なること」を人生に例えて、それがなぜ「報われる」ことになるのか。筆者個人は無理やりな結びつけにしか思えないのだが、本作はこれをメインテーマに置いている。そのため、早くも「話される論理が納得できないから、映画で語られる物語がどうあっても肯定できない」ことになってしまったのだ。

