謎パワーで障害はなかったことにされる
それでも、そのセクハラと暴力とパワハラを経ての恋を100万歩譲って許そうとしたとしても(許したくはないが)、そのナギは「植物の精霊と人間は結ばれない」とガスに明かすことはせず、スルトが襲ってきた時に発生した火事に乗じて、自らの死を偽装するのだ。それもまた納得し難いが、まあ100億歩譲って許すとしよう。
しかし、100兆歩譲っても許せなかったのは、そのナギの死の偽装に対して、ガスが「時計師の仕事をほっぽり出して、100年間もずっと引きこもって待ち続けること」だった。さらには、主人公のルビッチが100年間も待たせたナギの元へ行くと、「精霊の植物と人間とは結ばれない」という障害は、なぜかさっぱりと消え失せてハッピーエンドなのである。ガスは年老いている一方で、ナギの方は若い姿のままで結ばれるというのも気持ち悪い!
そもそもガスは時計師の仕事を100年に渡って放棄しており、さぞ世界に深刻な問題が出ているのだろうと思いきや、「待ち合わせができないし、夕食の時間もわかりゃしない、真夜中に目覚ましが鳴った」と言われたり、大砲と共にニワトリが「たぶん7時」と知らせる大雑把な時報が存在したりする程度だった。冒頭と最後に「時計の長針と秒針」のスピーチをする割には、ずいぶんと時間や時計の重要性がナメられているようだ。
前作で成長したルビッチをも甘やかす着地に
そもそも、本作の原案は2019年発売の絵本『チックタック 約束の時計台』であり、そちらの物語を映画の『えんとつ町のプペル』の「続編」として成り立たせるために、前作の主人公・ルビッチを異世界に迷いこませるという発想からして強引である。おかげで、今回は「えんとつ町」も「プペル」もほぼ冒頭とラストにしか登場しない、タイトル詐欺のような状態になっている。
それだけならまだしも、なんとガスが止めていた時計には「プペルという名前がついている」ことが判明し、その時計が動きだして、元の世界に戻ると、ルビッチの友達である(正体は父親でもある)プペルまでもが蘇ってハッピーエンドなのである。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。一応は「物に霊が宿る」という付喪神(つくもがみ)という概念を当てはめているとはいえ、「そんなことを言い出したらなんでもありじゃん」となる、とてつもないご都合主義だ。
いや、ご都合主義というだけならまだ良かった。本来は異なる2つの物語を無理矢理にリンクさせたことで、前作でプペルの死に向き合い、先に進もうとしていたルビッチさえも、引きこもってナギを待ち続けるガスに(一度はさすがに怒るも結局は)感化され、そのプペルも蘇らせてあげるという、とことん甘やかす着地になっているのだから。
西野亮廣の信奉者にとってはいい話なのかもしれない
いずれにせよ、クラウドファンディングのページに「事業のポイント」のひとつとして「テーマ『待つ』の普遍性:遠く離れた存在の“帰還”を信じる希望を描く」と挙げられている通り、劇中で「待つ」ことを尊いこととしているのは事実だ。ルビッチに「待つっていうのは、何もしないってことじゃない。相手を信じぬくってことだ!」とまで言わせているのだから。
前作『えんとつ町のプペル』は、まがりなりにも夢のための「行動」を肯定していた物語だったのだが、今回は「ただ待つ」という真逆の価値観になっている。「待っている場所をなくしたくない」という建前で、これを「いい話」として提示しているため、「根拠がないことを信じて」、しかも「何もしない」ことを推奨するような危険性をはらんでいるのではないか。
また、公式サイトなどでは、西野亮廣の相方である梶原雄太が失踪した時の経験が反映されていると記されており、その心情を慮れる人にとっては、なるほど感動するのかもしれない。もちろん、個人の身近な経験を作品に落とし込むこと自体は間違っていないし、それでこそピクサー作品や、細田守監督作のような普遍性を獲得することもあるはずだ。
しかし、本作ではそこに至るまでの物語の説得力を著しく欠いていることもあって、筆者個人は「待てば報われるという勝手で根拠のない思想に巻き込まれたくない」としか思えなかったのだ。
詐欺師のように上手く騙す工夫をしてほしい
本作がどのような物語だったかを、今一度まとめておこう。「酔っ払ってウザ絡みをしてきた男が、その相手と恋仲になれて、死の偽装をされたりもしたけど、100年間引きこもっていたら、何もせずとも異世界からやってきた来た少年が再び引き合わせてくれました。その少年もまた愛する人の死を引きずっていたけど、奇跡が起きて愛する人が蘇りました」。……どうやら、西野亮廣の考える「感動的な話」は、筆者にはまったく受け入れられないようだ。
せめて、千鳥の大悟から「まだ捕まってないだけの詐欺師」という称号で呼ばれているのだから、優れた脚本家を雇うなりして、自分の思想をもう少しだけでもうまく物語に落とし込んで、それこそ詐欺師のように上手く「騙す」ための工夫をしていただけないだろうか。こんな内容では前述した作品の外にある事情とは関係なく、本作を評価することなどできないし、豪語していた「ディズニーを超える」なんて目標を達成できるわけがないだろう。
優先順位は最下位でお願いしたい
なお、今は優れた劇場アニメが多数公開されている。中でも必見なのは100年以上前のパリで夢を追う2人の少女と優しい人たちの交流を描いた『パリに咲くエトワール』だ。
大ヒットしている『私がビーバーになる時』や『超かぐや姫!』は言うにおよばず、神戸での2歳半の女の子の世界を映し出す『アメリと雨の物語』、立ち退きの迫る花火工場での3人の若者たちの奮闘を追う『花緑青が明ける日に』、さらに生まれてくることの喜びと希望を示す『もし、これから生まれるのなら』(オムニバス映画『GEMNIBUS vol.2』の一編)も、映画館で見逃してほしくない素晴らしい作品だ。
宗教の映画であれば、キリストの物語を剣とドラゴンが大好きな息子へ語りかける形式で示した『キング・オブ・キングス』もとても良い内容だった。
それらを差し置いて、稚拙な物語を底の浅いメッセージに集約させていく『約束の時計台』を選ぶことは、まったくおすすめできない。もちろんSTUDIO4°Cの入魂のアニメを堪能するというバリューが多分にあるが、それでも優先順位は最下位でいい。
それでもなお、「ただ待っているだけで報われたいなあ」と思いたい方は、本作を観てみればいいだろう。その上で、目を覚ましてくれ。お願いだから。

