奇跡の連続だったタモンズの20年
――振り返ってみると、どんな20年間でしたか?
安部 奇跡やったと思いますね。僕ら、もう辞めるタイミングは死ぬほどあったんで。NSC(吉本総合芸能学院)でも劣等生で、なんなら出席日数が足りなくて、クビになりかけたけど、NSCのまわりを掃除して、なんとか所属にしてもらった。∞ホール(東京・渋谷にあった劇場)も芸歴が上がって追い出されて、困っていたら、大宮(大宮ラクーンよしもと劇場)が拾ってくれた。なんか紙一重で首の皮一枚残って、ずっとやってきた20年やったんです。
大波 本当に奇跡の連続でしたね。出会う人がみんな助けてくれるというか。大宮の劇場の支配人が、全然結果も出してないのに、出番を入れて助けてくれたり。∞ホールをクビになったときも、作家の山田ナビスコさんがライブに呼んでくれたり。
安部 解散もしかけましたけど、大宮セブンの皆さんにうまいこと止めてもらったりとか。
大波 都度現れるんですよね、救世主みたいな人が。危ないときに誰かが手を差し伸べてくれる。その連続でしたね。
タモンズ解散を止めた根建の一言
――もっとも危なかったときはいつですか?
安部 一度、コンビを辞めてトリオになろうとしてたんですよ。トリオ名も決めて、個人名も全部変えて出発し直しや、ってなってた。で、最後に大宮の支配人に報告して終わりにしようって日の朝に、囲碁将棋の根建(太一)さんと楽屋で2人きりになったんです。
「どうなん安部ちゃん、トリオはうまくいきそう?」って言われたときに、「そうですね。でも、ほんまは2人で売れたかったですけどね」ってポロっと言ったんですよ。ほんなら根建さんが、急に立ち上がって「いまからでも遅くねえだろ! コンビでやり直せばいいじゃねえかよ!」って言われたんです。それはもう、ドラマか?みたいな感じで。そこで「そうか」ってなって、そのあとに来た大波さんに「もう1回、コンビでやらへんか」って言いました。
――根建さんは、なぜそれだけ強く言ったのでしょう?
安部 芸人ってみんな、思ってるんですよ。「あいつ、もっとこうしたらええのにな」とか。でもそれって、人の人生を背負わなあかんから、あんまり直接的には言わないんですね。(根建の言葉も)「タモンズの解散はもったいないけど、でも本人が決めたことやし、しゃあないか」ぐらいのところに、僕がポロっと本音を言ったんで、それやったらやり直せよみたいな感じやったと思います。

大波 僕はもう完全に終わる気で行ってたんで。1公演目の袖で「これラスト漫才か」と思ってたら急に声かけられて、「ちょっと、もう1回やりたいんやけど」と。「えっ?」ってなりましたね。びっくりしました、あの日は。
安部 あれからです、腹くくったのは。「お前(大波)のやりたいようにしよう、全力でやってみよう」って。
うまくいかなかった時期っていうのは、簡単に言うと方向性の違いですよね。僕は目の前のお客さんを笑かしに行きたい。でも大波さんは「まず賞レースで結果残さなあかん」って、2人の方向性が合わなかった。それで、どんどん仲が悪うなってきて、僕が漫才から逃げるようになった。でも、根建さんの一件があってから、もう僕も腹くくったというか。
大波 あの日以来、自分たちが面白いと思うことをやるようになりましたね。もちろん、お客さんに楽しんでもらえるようにはするけど、芯のところは譲らないというか。