今や生活に欠かすことができなくなった生成AI。私(佐藤)は調べたいことがあると、一応ネット検索をするものの、だいたいの事柄はGoogleの「Gemini」に聞く。情報源としては誤っている場合が多いので全部を鵜呑みにはしないけど、ある言葉の解釈を尋ねたり、記事の一文の言い回しの正誤、ときには動画編集ソフトの使い方などを聞いている。
そんな私がかねてから気になっていたのが、楽曲制作AIだ。よく知られる「SUNO」をついに使ってみたら、その魅力に一瞬でトリコになった。
過去の制作音源を読み込ませたら、作り切れなかった昔の曲がフルバンドアレンジでよみがえった。あまりにも衝撃的で、言い知れぬほどの感動を覚えて、私はもう1度、自分の音楽に取り組む決意をした。
・音楽はずっと身近にあった
ずっと音楽が好きだった。そのルーツはたぶん親父の影響なんだと思う。まだ私たち兄弟が小学校低学年の頃だったか。何でも新しいもの好きの親父は、突然フルートを習うとか言い出した。まあ、それが下心から来ていたことだと悟ったのは、ずいぶんあとのことだが……。
滝廉太郎の『荒城の月』、それだけはマスターできたらしく、うちでも弾いていた記憶がある。それがきっかけだったかどうか定かではないけど、割と幼い頃から管楽器は身近にあった。それでなくても両親はポップソングが好きで、よくカセットテープで聞いていたものだ。そのカセットを我々兄弟が全部引き出して台無しにしてしまったが。
小学校6年生の時に学習発表会でトランペットに抜擢され、そのまま自然に中学校はブラスバンド部に入った。
高校になるとバンドを組み、BOOWYやJUN SKY WALKERSをコピー。本当はドラムをやりたかったけど、クラスの怖い同級生に「お前はベースをやれ」と言われて逆らえずにベースを弾くようになる。振り返るとあれは、結果的に私の性分に合っていた気がする。
社会人になって、身近な友達とバンドを組んではみたけど、そもそも人のいうことを聞けない性分なので、組んだバンドはだいたいすぐに破綻して解散。もはや人とやるべきではないと判断して、私は1人で弾き語りをするようになった。
20歳の頃、自分は絶望的にリズム感がなく、その上に音楽の才能もないとわかった。というのは、その頃に知り合った地元のバンドの先輩たちがみんな格好よくて「俺はこうは成れない」と気づいた。いや、むしろ裏方に回ってサポートした方が良いんじゃないか? と考えるようになる。
それでライブを主催したり、ライブハウスの真似事(当時地元にはライブハウスがなかった)をしたりしつつも、自分でも細々と曲を作ったものだ。
・機材を揃えたことが影響
後にただライブをしたり路上で弾き語りをするだけでは物足りなくなって、録音機材一式を揃える。
カセットテープに録音するマルチトラックレコーダー(MTR)。世代の人にはわかると思うけど、ピンポン録音で8トラックまで行ける「TASCAM」というメーカーのヤツだ。
それからリズムマシン。あれはどこのメーカーだったかな? たぶん「KORG」のものだったと思う。16個のボタンが並んでて、それを音符として扱って打ち込むヤツだ。
それとギターとアンプとマイクも買ったかな。部屋で録るから雑音が入らないように一切の窓を締めきって、せ~の! でやり始めると、おかんが部屋に入ってきたりしてね。電話が鳴ったりね。上手くいかねえんだな、コレが。本当に良い思い出だ。
音楽に関しては私はモノにならなかったけど、この時、機材を買って本当によかったと思えることがひとつだけある。それは一緒に楽曲制作を楽しんでいた高校の先輩が、現在も地元のホールの音響技師として勤めていることだ。
聞けば、あの時アレコレ機材を抱えて彼の家に押しかけて、夜中まで録音をしていた経験が転機となって、今の職種に就いたと言ってくれた。彼は大学卒業後に大阪の有名なクラブでも音響を務め、その経験が、帰省後の現職に活きている。まさかあの遊びが今につながるとはね。
