
真空中での光の速さは、秒速およそ30万キロメートル。
物理学が100年以上にわたって「これより速いものは存在しない」と断言してきた、宇宙の絶対的な制限速度です。
ところが世界最高峰の科学誌『Nature』に、その絶対をひっくり返すような論文が掲載されました。
イスラエル工科大学(Technion)のイド・カミナー教授らのチームが、光波の中に存在する多数の「暗闇の点」を直接観測したところその平均速度は、秒速約3億1200万メートル、つまり真空中の光速の1.04倍だったのです。
また全体をみると観測された闇のうち29%が光速を突破していました。
しかも、ある瞬間を切り取ると、速度は理論上は闇の速度が無限大に向かって発散しているということです。
この現象は、1970年代以来、マイケル・ベリーらの一連の理論研究で予測されてきたものでした。
彼は今回の研究で観測された闇のような存在について、光そのものよりも速く動く瞬間があり、しかも消滅の直前には速度が無限大に向かって発散する――そう理論的に予言していました。
それから半世紀。実験技術がようやく追いついて、理論の予告状にしるされた現象が、ついに人類の目の前に姿を現したわけです。
しかも研究チームは、平然と「アインシュタインの理論は、何ひとつ破れていません」と言いました。
なぜ闇の点は光の速度を超えてもアインシュタインの相対性理論を破らなかったのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年3月25日に『Nature』に掲載されました。
目次
- 「光が遅くなってるだけでしょ?」というオチではない
- 超光速の闇は光から生まれていた
- ペアで生まれて、ペアで死ぬ――特異点の掟
- 闇のが光の速度を超え無限大になる瞬間
- 遅い波だからこそ、速い闇が生まれる
「光が遅くなってるだけでしょ?」というオチではない

この手のニュースを読み慣れた方なら、こう疑うかもしれません。
「変な素材の中で光が遅くなってるだけで、そんなノロノロ状態の光を追い越してもたいした話ではないのでは?」
確かにそのようなケースは存在します。
たとえば水の中の光速は、真空中のおよそ75%(光速の0.75倍)。
だから理論上は、水中を光速の80%で進む粒子は「水中の光より速い」と言えるのです。
じっさい高エネルギー物理の実験では、このような光速の追い越しが起きたときに青白い光(チェレンコフ光)が出ることが知られています。
しかし今回は違います。
研究者たちが計測機器で実際に測定を行い、暗闇の点の速度が、真空中の光速cそのものを上回ったという結果が得られたのです。
研究ではまず六方晶窒化ホウ素(hBN)という薄い結晶が用意されました(以下「窒化ホウ素」と呼びます)。
窒化ホウ素はグラフェンの親戚みたいなシート状の素材で、この中では光が素直に光のままでは進めません。
光の波が結晶に飛び込むと、結晶の原子たちが揺さぶられて、光と原子の振動が混ざり合った「光と音のハーフ」のような波が生まれます。
これを「フォノンポラリトン」と呼び「光と原子振動の合いの子」のような存在です。
このポラリトンはとても面白い性質を持っています。
光がポラリトンになると、真空中の光速の100分の1ぐらいまで減速するのです。
「やっぱり減速した光の話しじゃないか?」
と思うかもしれませんが、本論文の数値を見ると、そうじゃないことがわかります。
このとき、ブレーキのかかったポラリトンの波の中に「闇」が生じます。
研究チームはこの暗闇の点の速度を測定したところ、その平均速度は、真空中の光速 c の1.04倍であることが実験的に確かめられたのです。
つまり、素材の中で減速した光を抜いただけではなく、暗点の速度としては、真空中の光速cすら上回っていたのです。
さらに複数の闇たちをまとめてみると、全体の29%が、堂々と c を突破した超光速状態にありました。
研究チームが理論計算で確かめたところ、もし真空中で同じ実験をしていたら、暗闇の点のうち光速を超えるのはわずか0.4%しかなかったはずだそうです。
「真空でも、ごくまれにそういう瞬間は起きうる」という意味です。
これも驚きですが窒化ホウ素という素材の中だと、それが29%まで跳ね上がり実に70倍以上に増えていたのです。
素材の中で光がのろのろ進んでいるはずなのに、その内部に発生する暗闇の点はかえって激しく光速を超えてしまう――つまり薄い窒化ホウ素の結晶は、暗闇の点の超光速イベントを「増幅して見えやすくする装置」として働いていたわけです。
ちなみに過去にも、超流体(絶対零度近くで摩擦ゼロになる液体)や超伝導体、台風みたいな流体の渦の中で、似たような「加速」は観測されていました。
でもそれらは全部、光速の手前で止まっていたのです。
位相特異点が光速を超える瞬間を時空間で直接観測したのは、今回が史上初。
ではこの「暗闇の点」、いったい何者なのでしょうか。
超光速の闇は光から生まれていた

今回の研究で超光速が実験的に実証された闇の正体はある種の特異点でした。
正式には位相特異点と呼ばれる存在です。
特異点というと、ブラックホールの中心にあるものというイメージがあります。
ブラックホールの特異点というのは、その名のとおり、宇宙でいちばん「物理が通用しない場所」です。
ブラックホールの中心では時空の曲率が無限大になり、密度も無限大になり、すべての法則が破綻します。
既存の物理法則が通じない特異な存在、それがブラックホールの特異点です。
しかし位相特異点はそれとは異なります。
位相特異点そのものは、質量を持つ粒子ではなく、エネルギーや情報を運ぶ信号でもありません。だから、光速を超えて見えても因果律を破らないのです。
また出現の仕方も異なります。
ブラックホールは重力崩壊によって起こります。
一方で、位相特異点は、複数の光の波が干渉し合って、ある場所で振幅がゼロになり、その周りで波のリズムがぐるりと巻くときに生じます。
このとき、山と谷の打ち消し合いが起こると、光の「波」としての振れ幅(振幅)がゼロになり、光の強度もゼロになります。
もし周りが光の波で満ちあふれている空間の中でこれが起きると、そこだけぽつんと「暗闇」になるのです。

わかりやすい例だと、ノイズキャンセリング・イヤホン。
あれは外の騒音に対して「ぴったり逆向きの音波」をぶつけて、わざと波を打ち消し合わせる仕組みで動いています。
山と谷をぴたりと重ねれば、波は消える。だから周りはうるさいのに、耳元だけ静かになのです。
光でも、まったく同じことが起きます。複雑に重なり合った光の波たちが、ある一点で偶然きれいに打ち消し合うと、その一点だけ、本当に真っ暗になる。光のプールの中に、ぽっかり黒い穴が開いたみたいになるのです。
ただそれだけでは「特異」と名前が付くほどではありません。
特異点と呼ぶには「その点では、何かがうまく定義できない」という性質を持つ必要があるからです。
位相特異点が特異点と呼ばれるのは、波として必須なサイクル「位相」がわからなくなるからです。
たとえば月の満ち欠け。新月から満月へ、満月から新月へと、月は約30日でぐるっとサイクルを一周します。誰かに「今夜の月はどの段階?」と聞かれたら、「満月」とか「三日月」と答えられます。
これがまさに月の位相です。実は英語でも、月の満ち欠けのことをムーン・フェイズ(月位相)と呼びます。
光の波も、これと同じです。波の山にいるなら「位相は0度」、ちょうど真ん中まで降りたら「90度」、谷の底にいるなら「180度」、また登って山に戻ったら「360度(=0度)」――というふうに、波のサイクルのどこにいるかが角度で表せます。
ところが、波の振幅がぴったりゼロの場所では、そもそも山も谷もありません。
「山も谷もない場所で、いまサイクルのどの段階にいる?」と聞かれても、答えようがない。
月でいえば、空に月が一切見えない場所で「今のムーン・フェイズ(月位相)は何?」と問われているようなものです。問いそのもの、位相という概念そのものが成立しません。
ブラックホールの特異点は既存の物理法則の概念が成立しなくなります。
一方で位相特異点は位相という概念が成立しなくなるのです。
これが闇の正体です。
光の波の中に出現する、位相という概念だけがそこで決められない暗点というわけです。
そしてブラックホールが無から出現しないように、闇(位相特異点)も無からは出現しません。
位相特異点という闇が生じるにはまず光が必要だからです。
今回の研究では、1970年代の予測を確認するために、この闇を追いました。

