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なぜ大作ゲームは「宮崎駿的未来」を描くのか? “クロニック・キャンディ・アポカリプス”――あるいは人類が考えだした“5つの未来”と“ひとつの現実” <連載記事:地球はエンタメでまわってる>

なぜ大作ゲームは「宮崎駿的未来」を描くのか? “クロニック・キャンディ・アポカリプス”――あるいは人類が考えだした“5つの未来”と“ひとつの現実” <連載記事:地球はエンタメでまわってる>

サイバーパンク――ウィリアム・ギブスン的未来

 しかし、こういった楽観的なヴィジョンは、SFの黄金時代といわれた1940年代から50年代にひとつのピークを迎え、その後、60年代、70年代、80年代と世相の変化にともなって、次第に色褪せていった。

 そんななか、ひとつの革命的なルックの映画が上映される。リドリー・スコット監督の『ブレードランナー』である。

 この映画では、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作に、酸性雨が降りしきるなか、巨大企業が君臨するロサンゼルスで暗闘を繰り広げる「レプリカント(人造人間)」と「ブレードランナー」たちという、暗いヴィジョンが描かれた。かつてだれも見たことがなかったような「汚れた未来」が。

 一方、文芸方面では、ウィリアム・ギブスンが1982年に短編『クローム襲撃』を、1984年に長編『ニューロマンサー』を発表している。衝撃的な文体で「サイバースペース」の冒険を描いたダークなセンスあふれる名作は、ヒューゴー賞、ネビュラ賞などSF小説の各賞を総なめにし、極めて大きな話題を呼んだ。

 ギブスンらのうす汚れた未来を膨大な情報量で描いた作品は「サイバーパンク」と呼ばれ、そのダークでダーティーなヴィジョンで、ガーンズバック的未来にとどめを刺した。

 続く90年代における「ポスト・サイバーパンク」と呼ばれる作品群の代表的な作家がニール・スティーヴンスンで、メタ社などが頻繁に使用する「メタヴァース」(メタバース)という表現は、彼の『スノウ・クラッシュ』で初出したものだ。

 こういった、ネットと人体改造と仮想空間などといった多彩なアイディアに満ちたデカダンな未来像を、ここでは「ウィリアム・ギブスン的未来」と呼ぶことにしよう。

サスティナブルな文明――『∀ガンダム』が描き出す富野由悠季的未来

 もちろん、一方には、そういったSF小説や映画が描くあるいはきらびやかな、あるいは暗く沈んだ未来ともまた違う未来像を描き出す作家もいる。

 たとえば、わが日本の映像作家・富野由悠季がそうだ。『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』といったロボット・アニメーションで知られるこの異才は、未来においてもなお続く暗澹たる戦争を延々と描いていったのち、『∀ガンダム(ターンエーガンダム)』において新境地に到った。即ち、ある種の定常的な未来である。

 『∀ガンダム』の世界では、過去の宇宙戦争の時代(黒歴史)を経て、人類の科学技術水準はほぼ19世紀あたりまで下降し、停滞している。さまざまな先進文明の遺産が残っているため、部分的には超テクノロジーが混ざっているものの、社会のベースは石油資源が枯渇してしまったそのあとの、慎ましくも豊かな農業社会なのだ。

 『∀ガンダム』や、その精神的後継作である『Gのレコンギスタ』の文明世界は、サイエンス・ライターの北村雄一がいうところの「草文明」のヴィジョンに近いものがある。資本の暴走や過剰な科学の進歩を意図的にコントロールし、マシンの出力を制限して暮らす、いわば「減速主義」の社会。こういった未来を「富野由悠季的未来」と呼ぶことが可能だろう。

 富野的未来も、やはりある種の終末後の世界を描いているので、宮崎的未来(ポスト・アポカリプス)の変種といえるかもしれない。だが、それは宮崎的未来ほど絶望的ではない。そこには、身の丈に合ったテクノロジーと付き合いながら人類が生き延びるための泥くさい知恵がある。

配信元: ねとらぼ

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