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なぜ大作ゲームは「宮崎駿的未来」を描くのか? “クロニック・キャンディ・アポカリプス”――あるいは人類が考えだした“5つの未来”と“ひとつの現実” <連載記事:地球はエンタメでまわってる>

なぜ大作ゲームは「宮崎駿的未来」を描くのか? “クロニック・キャンディ・アポカリプス”――あるいは人類が考えだした“5つの未来”と“ひとつの現実” <連載記事:地球はエンタメでまわってる>

テクノ封建制――ピーター・ティール的現実、あるいは「クラウド農奴」としての日常

 とはいえ、いまの現実世界は、この富野的な「減速主義」とは真逆の「加速主義」の方向へと突き進んでいる。現実がSFの夢(悪夢?)を模倣しつつ前進しているといってもいい。

 いまや、ガーンズバック的未来もギブスン的未来も、すでに遠い過去のものとなった。その背景にある「加速主義」と呼ばれる思想は、技術革新を極限まで加速させ、資本主義の枠組みそのものを突破しようとする潮流である。そして、その最先端にいるのは、次に挙げる現実世界の巨人たちだ。

 おそらく、あなたはイーロン・マスクをご存知だろう。いわずと知れたシリコンバレーのビリオネア(億万長者)のひとりで、自動車企業テスラや宇宙開発企業SpaceXといったグローバル大企業を率い、さまざまな意味で現在の世界に多大な影響を与えつづける大実業家である。

 ピーター・ティールも、ご存知のことと思う。オンライン決済サービスPayPalの共同創業者であり、Facebookの初期投資家としても知られる、シリコンバレーの影のドンとまでいわれる男性だ。

 このふたりには、一代で莫大な資産を築いた野心的な大物ということ以外にも、ひとつの共通点がある。SF小説や映画のファンであることを公言していることだ。たとえば、ティールが共同創業したIT企業「パランティア」の名称は、トールキンの『指輪物語』に登場する、すべてを見通す魔法の水晶から採られている。

 彼らのような資本主義の覇者たちが造り出したヴィジョン――ただし、それは空想上の「未来」ではなく、あくまでたったひとつしかない現実だ――それを、ここでは「ピーター・ティール的現実」と呼ぶことにしよう。

 ティール的現実は、ガーンズバック的未来とギブスン的未来の奇妙な混交物である。マスクやティールたちは、わたしたちの文明をさらにさらに加速させ、やがて文明を宇宙空間にまで進出させることを人類が進むべきルートとして主張する。

 まずは火星、そして小惑星帯、さらには太陽系を脱出し、はるか銀河のその向こうへ――そういった彼らの主張からは、往年のSF的な壮大なロマン(まさにガーンズバック的未来!)を感じ取ることができるだろう。しかし、こういったロマンの裏側にある社会構造は、ギブスンが描いたメガコーポによる支配よりもはるかに極端だ。

 異端の経済学者ヤニス・バルファキスは、現在のデジタル資本主義の極致を「テクノ封建制」と名づけた。現代のシリコンバレーのビリオネアたちは、もはや単なる資本主義的な市場の競争者ではない。インターネット空間という「プラットフォーム(領地)」そのものを所有し、そこで活動する人々から莫大な「レント(地代)」を取る、現代の「領主」ともいうべき巨大存在なのだ。

ホープパンク――アンディ・ウィアー的未来と「クロニック・キャンディ・アポカリプス」の祈り

 そういったウルトラマッチョな超現実に対するひとつのアンサーとしてあるのが、ネット出身の作家アンディ・ウィアー原作のSF映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』だ。

 地球が太陽光度低下による滅亡の危機に瀕した際、あるひとりの気弱な科学者が宇宙へ旅立つ物語で、近年のSFとしては例外的なほど、あかるく前向きな物語といえる。そのため、しばしばこの作品は「ホープパンク(希望のパンク)」に類する一作といわれることもある。

 そこで、こういった、現代において科学への信頼とあかるい未来のかすかな可能性を描く未来像を「アンディ・ウィアー的未来」と呼びたい。

 ウィアー的未来は、往年のガーンズバック的未来を現代によみがえらせたようにも見える。その意味では、ティール的現実と表裏のところもあるといって良いだろう。

 だが、決定的に違う点がひとつある。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は、イーロン・マスクのようなテクノ・マッチョイズムとは正反対のオタク的気弱さから目を背けないのだ。

 この長編の主人公は英雄的な天才ではなく、恐怖に震え、ただ生きて帰りたいと願うふつうの人間(と異星人)である。

 もしも『オデッセイ』や『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が、テクノ封建制の色を強める現実に対して希望を歌い上げるパンキッシュな抵抗でありえるとすれば、それはこの「人間らしい弱さ」を徹底して肯定しているからだ。

 ティール的現実における科学は巨大資本と英雄的起業家たちの道具、しかしウィアー的未来における科学はかよわい人間たちが互いに助け合い連帯するための手段なのだ。ここには、たしかにほのかな希望がある。

ふたたびクロニック・キャンディ・アポカリプス

 そう――そして、ここで、なぜいま、ゲームの世界で「クロニック・キャンディ・アポカリプス」がこれほどまでに流行するのかという冒頭のクエスチョンに戻ってみることにしよう。

 それは、わたしたちがあまりにも過酷なティール的現実の息苦しさに疲れ果てているからではないだろうか。

 直線的な未来の先には、少数のビリオネアに支配される暗い格差社会が見える(ティール的現実から続くギブスン的未来)。かといって、宇宙へ飛び出すホープパンクを実践するほどのバイタリティも(ガーンズバック的未来を再現するウィアー的未来)、経済成長を完全に捨てる覚悟も(富野的未来)、当然ながら持ちにくい。

 だからこそ、「いったん文明が壊れたあとの世界」を夢想する(甘いシュガーコートにつつまれた宮崎的/ギブスン的未来、すなわち「クロニック・キャンディ・アポカリプス」!)。

 クロニック・キャンディ・アポカリプスの世界は、宮崎的未来の亜種として、いかにも甘い。しかし、それは決して単なるレトロフューチャリズムへの逃避などではない。

 資本主義の競争も、過酷な労働も、テクノ領主たちの支配も、すべてが一度リセットされ壊れてしまったそのあとも、世界は案外かわいく、楽しく続いてゆくという、あたらしい形での未来への切実な祈りなのだ。

 楽観的だったガーンズバック的未来、頽廃と暗黒を感じさせるギブスン的未来、終末のその向こうを遠望する宮崎的未来、持続可能性を追求した富野的未来、暗い世相に希望を投げかけるウィアー的未来、そして、わたしたちを呑み込もうとするティール的現実。

 それらのいずれとも微妙に異なる変形した宮崎的未来――クロニック・キャンディ・アポカリプスとは、すでに未来が壊れてしまった時代の、甘く加工された生存の意思である。

  そこにあるものは、世界が終わってほしいという破滅願望などではない。むしろ、未来が壊れたあとでも、なお、だれかと出会い、食事をし、街を歩き、今日を楽しく過ごしたいという、あまりにもささやかな祈りにほかならない。

 わたしたちの目の前に放り投げられたいくつものキャンディ――その味わいは、甘ったるくも、どこかふしぎとほろ苦い。

配信元: ねとらぼ

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