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5代目担当ディレクターが回想する90年代のビートルズシーン|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった 特別対談 Vol.19 森俊一郎

レコードからCDへの移行が進み、音楽マーケットが拡大した1990年代。追い風に乗ってビートルズも飛躍的にセールスを伸ばした。そのCD黄金期に東芝EMIでビートルズを担当していたのが森俊一郎さん。近著『東芝EMI洋楽部の輝ける日々』にはビートルズほか、担当アーティストの貴重なエピソードが満載されていますが、ここではポール初来日公演を中心に90年代のビートルズシーンについて、最前線で仕事をしていたディレクターだからこそ知る当時の話をいろいろ細かく聞きました。

ある時代の日本の洋楽史、そして東芝EMIへの愛

『東芝EMI洋楽部の輝ける日々』(シンコーミュージック)

竹部:著作『東芝EMI洋楽部の輝ける日々』読ませていただきました。ビートルズファンとしてはもちろん、森さんを知る身としてとてもおもしろかったです。

森:書くって楽しいですよね。

竹部:この本を読んで思ったのは、そこなんです。

森:わかりました?

竹部:伝わってきますよ。揚々と書かれている。あと時系列じゃないのもいいなと。その組み立て、展開がいいなと思いました。自分も経験あるんですが、単に時系列にすると、普通すぎて魅力が半減してしまう危険性もありますよね。読ませたいところ、ハイライトとなる部分を前半に持ってきたりした方がいいなってあらためて思いました。

森:単に書きたい順番に書いていっただけなんですけどね。

竹部:そもそもこの本を書くことになった経緯は?

森:元々は東芝時代の先輩の瀬古(英男)さんと阿佐美(俊夫)さんがfacebookで当時のことを書かれていて、それがすごくおもしろかったので、「もったいないから本にしてまとめませんか」というところから始まっているんです。当初の計画では3人の共著にしたいと思っていたんです。具体化したのは2年前の2月。有働誠次郎さんのお別れ会に行ったとき、シンコーミュージックの森田さんに会って「実は書きたい原稿があって、本にしたい」っていう話をしたんです。そしたら「考えますね」って言ってもらって、それから田中さんという担当を決めて、2人で書籍化を進めていった。僕としては、東芝という会社の成り立ちから書いてみたかったんですけどね。

竹部:家電の東芝からの歴史ということですか。

森:東芝を立ち上げた田中久重さんっていう、東洋のエジソンと言われた人のことを調べてみると、すごく興味深い。東芝の歴史をまとめた本はたくさん出ていますが、少し噛み砕いて書いたら絶対に面白くなると思ったんです。

竹部:ビジネス本ではなく? 僕も藤本(国彦)さんと石坂敬一さんの自伝『わがビートルズ革命』を作ったときに、お父様の範一郎さんの話も出てくるので、東芝が音楽事業を始めて東芝音楽工業ができる経緯を調べたら、すごく面白かったです。

森:そうなんですよね。でも今回は田中さんから「森さんが東芝時代に手掛けたアーティストの中から『ミュージック・ライフ』で取り上げていたアーティストを中心にしてやりましょう」と言われて、あの形になったという経緯です。

竹部:読み終えて思ったのは、森さん史であることはもちろん、ある時代の日本の洋楽史、そして森さんの東芝EMIへの愛をすごく感じました。

森:ほかの人が自分のいた会社のことを書いても同じような気はしますけどね。

竹部:でも東芝の人たちの強い絆を感じるところはありましたよ。

森:この本を書くにあたって、何人かの先輩に話を聞いたわけですよ。入社から一緒に仕事をすることが多かった三好(伸一)さんをはじめ山田(正則)さん、菊池ジュニアさん、鈴木博一(ぱくさん)さんなどのお話を聞いたら、自分の知らなかった面白いエピソードがどんどん出てくる。それがすごく面白かった。三好さんは取材後に亡くなってしまったので、貴重な取材になりました。

竹部:森さんの前のビートルズ担当・三好さんですね。レコードを買うとライナーノーツに「ビートルズに関する問い合わせは東芝EMI・石坂、三好まで」とあって電話番号まで書いてあった、その三好さん。そういう人の証言を残しておくことは大事ですよね。石坂敬一さんの自伝は、亡くなる一年前くらいから定期的にお会いして話を聞いていて、もっと聞きたいことはたくさんあったのですが、今思えば発言を残しておいて本当によかった。

森:石坂さんはカリスマ性のある人でした。僕が洋楽部だったとき、石坂さんは統括本部長として洋楽と邦楽の両方を見ていたんです。着任した初日かな。9時出社に絶対に遅れるなと言われて、9時に出社すると部屋の真ん中の席に石坂さんが秘書室長と2人で立っていて、みんな入ってくるのをずっと見ているんです。なんか軍隊みたいだなって思った(笑)。

竹部:強烈ですね。この本には石坂さんのエピソードがいろいろ書かれていますけど、ほかにも読みたかったです。

森:93年のポールのワールドツアーはオーストラリアが初日だったんですね。会社のスタッフ何人かで行くことになったら、石坂さんも同行することになり、我々とは別にファーストクラスで前乗りしたんです。コンサートを観たあと、1日空いたので、せっかくだから動物園に行ってコアラでも観ようかという話になり、これにも石坂さんが同行することになった。石坂さんはスーツしか持ってきていなくて、スーツでコアラを抱いていました(笑)。

竹部:ジョンが死んだ日に、自分はハード・ドライヴィング・ビジネスマンになると言って、これからはスーツしか着ないと決めたんですよね。石坂さんの話で思い出したんですが、自伝用の取材のとき「ビートルズファンの問い合わせにはどう対応していたんですか?」と聞いたんです。そうしたら「実際に会社まで会いに来るやつまでいた」って。「おれのほうが詳しいんだ」みたいなことを言うから「舐められちゃいけないと思って論破した」って言っていました。

森:石坂さんらしい(笑)。三好さんも石坂さんに近いところがありました。ペット・ショップ・ボーイズが売れ始めた頃、「これはもう自分が知っているロックではない。役割は終わった」と言って、担当を外れて、自分のレーベルを作った。それで僕がビートルズの担当になったっていう流れなんです。

過去のバンドだった80年代のビートルズ

東芝EMI作成のビートルズ販促用小冊子

竹部:そうなんですね。その話はまたのちほど。この本の話に戻しますが、執筆にあたって、昔のことって覚えていましたか。

森:覚えていることだけを書いたんですよ。

竹部:当時のメモとかは?

森:全然。記録もメモも残さない人なので全然ないです。だから忘れていることがいっぱいあって、当時のことを調べていく過程で浮かび上がってくる事実と自分の記憶と照らし合わせて書いていった感じです。そのあと、イベントなどで人前で話すと、本を書いたときには思い出せなかったことが出てくる。人とのやり取りのなかで、こういう話もあったよなっていう。

竹部:人と話をしていたときに、突っ込まれて初めて思い出すというのはありますよね。この対談でもそういうことがあります。

森:だから、すごくいい脳のトレーニングになりました。やっぱりビートルズのことを聞かれることが多いので、ビートルズのことがよく思い出されるんですよ。

竹部:今日のテーマはそのビートルズなんですが、この連載を始めたときからいつか森さんに出てもらいたいなと思っていたので、本当に光栄です。森さんのことは80年代からビートルズ担当として一方的に存じていて、その頃から憧れの存在でしたから。オリコンに入って、どうにかして森さんと知り合いになりたいと思って、同僚だった営業の茂木君を通して紹介してもらったんです。

森:そうでしたっけ。

竹部:オリコン入社が94年で、辞めたのが07年だから、ビートルズ史で言うと、『BBC』『アンソロジー』から『LOVE』まで。仕事での付き合いが始まったのは『オリジナル・コンフィデンス』の編集として東芝の担当になってからなので『1』以降なんです。

森:2000年代以降か。その頃はもう僕は洋楽部ではなくストラテジック部でしたね。

竹部:紙ジャケ特集で森さんに取材した記憶があります。で、今日はビートルズ担当としての森さんの話を聞かせてください。森さんの東芝入社は82年ということですが、その頃の社内でのビートルズの扱い、存在ってどんな感じだったか覚えていますか。80年代のビートルズシーンは、ジョンの死、その前のポール逮捕などネガティブな要素が多くて、ファンにとってはあまりいい時期じゃなかった。それまでコンスタントに出ていた編集盤も出なくなって、LPはイギリス統一みたいなことになって、リリースも徐々になくなってしまいました。ソロに目を向けてもポールの『タッグ・オブ・ウォー』はヒットしたけど、徐々に活動が地味になっていって、ジョージもリンゴも同様という感じでした。

森:入社して早々に『タッグ・オブ・ウォー』が出たんですよ。それは覚えています。ポールは山田さんが担当で、僕はビートルズの担当だった三好さんの隣だったので、その仕事ぶりを端で見ていたし、プロモーションを手伝うようになっていました。ビートルズの小冊子を定期的に作って、それを店頭キャンペーンに繋げるという。小冊子作りは東芝洋楽部の重要な仕事で、伝統として受け継がれていました。

竹部:よくできているんですよ。たくさん持っていますよ。資料性も高くてとても無料配布とは思えない充実度でした。きっかけはやっぱり70年代初期の石坂さんですかね。

森:80年代以降はビートルズ・シネクラブに編集を手伝ってもらっていました。

竹部:確かにページの中に必ずファンクラブ入会の告知がありました。今日はポール初来日時に作られたこのあたりを持ってきたんです。「やっと会えたね」のキャッチコピー。これは森さんですよね。

森:たぶん、そうですね。

竹部:ファンの気持ちを代弁してもらったという感じで感動の小冊子でした。やっと会えたねって辻仁成が中山美穂に言う前ですからね(笑)。

森:(小冊子を手に取って)これはしっかり作っているな。

竹部:ポール初来日の話は後程たっぷり聞きますね。

90年のポール初来日時に作られた小冊子、やっとあえたね。

森:入社の翌年が『パイプス・オブ・ピース』、その翌年は『ブロード・ストリート』。この辺りはプロモーションをしました。

竹部:ラジオ、雑誌がメインでしょうか。

森:そうですね。入ってからずっと主にラジオのプロモーションをやっていたので、ラジオまわりの人脈は結構ありました。ラジオに加えて専門誌も担当していましたよ。あの時代はラジオと専門誌をしっかりプロモーションできればある程度盛り上げられたんです。やったことが数字として見えやすかったから、やっていて面白かったです。

竹部:当時の洋楽は盛り上がっていましたからね。続々新しいアーティストが出てきて、ヒットを飛ばして来日していました。僕も普通にデュラン・デュランとか聞いていましたし。マイケル・シェンカー・グループの武道館に行ったり、ハードロックやヘヴィメタルも好きでした。そういう状況からすると、ビートルズってすごく昔のバンドというイメージだったんですよ。

森:そのときはそうでしたね。

竹部:メディアが取り上げたいアーティストはリアルタイムで売れているメンストリームの人たちのわけで、そこに過去のバンドであるビートルズ、ソロのポールをプロモーションするって大変だったんじゃないかなと思うんですが。

森:それはクイーンでも感じていたぐらいでした。84年にクイーンが東芝に移籍して『ワークス』というアルバムを出したんですが、そのプロモーションで相当苦しみました。あの頃の『ミュージック・ライフ』は、クイーンでもモノクロの記事でしたから。それと同じような感覚で、いやそれ以上にポールは過去のアーティストっていう立ち位置だったと思います。

竹部:当時『ミュージック・ライフ』と『ロッキング・オン』を買っていたんですが、ビートルズやポールが載っていたことはほぼなかったです。松村雄策さんが『ロッキング・オン』で勝手に書いているぐらい。ポールはアルバムレビューぐらいでしたね。まわりにもビートルズを聴いているという人やポールファンってあまりいなくて、寂しい思いをしたものでした。でも「復活祭」に行くとファンがたくさん集まっていて、しかも皆若かった。当時の客層は高校生か大学生ぐらい。年寄りはいなかった。今考えると信じられないです。

森:なるほど。この世代がちゃんと育って今のビートルズ人気を支えていると。

竹部:そうなんですよ。私の世代です。

森:そのあと、僕はヴァージンの専任担当になったので、85年~86年あたりは全然関わっていないんですが、復帰したあたりに出たのが『オール・ザ・ベスト』。

竹部:87年ですね。「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」で『夜ヒット』に出たじゃないですか。

森:あのときにポール側とフジテレビとの間で来日の話が進みつつあったんじゃないでしょうか? その頃から動いていないと90年の来日は実現していないと思うので、水面下では動いていたんでしょう。今から思えば、パズルのピースがハマっていく出来事のひとつでした。

竹部:その段階ではボールが日本に来るっていうのは全然期待していなかったです。85年末に『ベストヒットUSA』でポールの独占インタビューが放送されたんですが、そのなかでポールが小林克也に「ツアーなんかやらない。ツアーは独身のやることだ」と言っているんです。その発言にがっかりしていたんで、来日は考えられなかったですよ。

森:その段階ではまだ誰も思っていない。

竹部:森さんがビートルズの担当になるのは89年でしたよね。

森:先程言ったように三好さんが新しいレーベルを作って、異動してしまったので、隣に座っていたからということでもないんだけど、僕が5代目の担当になった。89年のことです。

竹部:どんな気持ちでしたか。

森:特別なアーティストを担当することになったという自覚はもちろんありました。でもそれで感動することはなかったですね。僕の中でビートルズがナンバーワンの存在ではありませんでしたし、あくまでも仕事のひとつという感覚。ビートルズのことをやりながら、次から次に出てくる新しいアーティストをやらなければならないわけですから。年間のスケジュールを見たとき、ビートルズのアイテムが出るならそのために力をセーブしないとまずい、そういうことは考えていました。仕事量が半端じゃなく増えるはずなので。

竹部:ビートルズ担当だっていうだけで仕事が増えますからね。いろんなところに呼ばれたり、寄稿したり。

森:それは光栄に思っていましたけどね。

竹部:ファンからマニアックなことを聞かれたりしましたでしょ?

森:なんじゃそりゃみたいなことも聞かれました。少し後のことですが、たとえば税率が変わるたびに、CDの帯が変わるじゃないですか。あるファンの人から「消費税5%のときの『イエロー・サブマリン』が見つからないんですけど」って言われたことがあったんです。

竹部:森さんに言われてもねって話ですけど(笑)。

森:こっちも焦って調べるじゃないですか。そうすると、在庫がまだあった。『イエロー・サブマリン』はアルバムとしていちばん売れていなかったからなんだなって思ったり。

配信元: Dig-it

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