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5代目担当ディレクターが回想する90年代のビートルズシーン|ビートルズのことを考えない日は一日もなかった 特別対談 Vol.19 森俊一郎

『アンソロジー』『1』で生まれた新しいビートルズ観

『ビートルズ・アンソロジー1』

森:92年にデビュー30周年で「ラヴ・ミー・ドゥ」のシングルがアナログ出て、アルバムをアナログで出し直した。そういえば、そのとき社内でこんなことがありました。石坂さんが洋楽部のスタッフ全員を集めてビートルズのレコードを試聴するという場が設けられたんです。その時代だとスタッフも若返りして新しくなっているわけですよ。役員会議室に集められて、石坂さんがプレイヤーの横に座って、1枚目から数曲づつ選んでかけていく。あの人はビートルズに関してはイギリスオリジナルリリースの原理主義者だから、そこに『オールディーズ』が入るわけ。

竹部:『オールディーズ』は重要なレコードだと思いますよ。今はなかったことになっていて残念です。

森:石坂さんも順番的に『オールディーズ』は重要なレコードだと考えていました。『プリーズ・プリーズ・ミー』から始めて『オールディーズ』を経由して『レット・イット・ビー』までかけて終了。終わったら「じゃあ」って(笑)。当時そこにいた人はみんな記憶に残っていると思いますよ。

竹部:僕がオリコンにいたときもオリコンの社員に向けた石坂さんの音楽講座みたいのがありました。当時の石坂さんはユニバーサルミュージックの社長で。その頃僕はユニバーサルミュージックも担当していたので、折に触れ取材をさせていただいて、あるとき「A&Rとはなにかというテーマで取材したい」と相談したら、「日曜の夜にホテルオークラのバーで話しましょう」ということを言われて……。行きましたよ。

森:石坂さんらしい。

竹部:それで、翌年には『赤盤』『青盤』が出るわけですよね。

森:そこから、セールスのレベルがぐっと上がっていくわけです。『赤盤』『青盤』はテレビスポットも打たずに、30万、40万売っていましたから。

竹部:CDバブルが始まろうとしていた時代ですね。

森:それで94年に『BBC』なんです。社内的に『BBC』はマニアの商品だからという空気が流れていたんだけど、僕は「これだけ『赤盤』『青盤』を買った人がいて、すそ野は広がっているわけだから、マニアの動きに釣られて買ってくれる人が絶対にいる」って言って説明をしたら、実際に30万くらい売れた。驚きましたけどね。

竹部:あの内容で30万はすごい。勢いを感じます。今思えば、このあたりは『アンソロジー』の露払い的な印象でした。

森:そう。そして95年の『アンソロジー』につながっていくわけですけど、最初に『アンソロジー』が出ると聞いたときは、ポールの来日と同じぐらい大変なことになると思いました。

竹部:ビートルズの新曲が入っているということで大騒ぎでしたよね。

森:何がどう起きていったかの細かいことは、正確には覚えてないですが、EMI本社から「マスターテープをイギリスまで取りに来て」と言われたのは9月、10月ぐらいの話だったと思うんです。発売が11月末だから、めちゃくちゃ短納期なんです。情報は制限されているなかでレーベルコピーだけ届いたんだけど、どういう曲かはわからない。こちらは発売日に向けて準備しておくしかないわけです。

竹部:東芝の役員の方がイギリスに飛び、アビイ・ロード・スタジオでマスターテープを受け取り、とんぼ返りで東京へ。それを成田で待つ森さんが受け取り、一旦会社の金庫に格納、翌日スタジオへという流れは著作にも書かれていましたが、読んでいてかなり緊迫感がありました。新曲だった「フリー・アズ・ア・バード」を日本で最初に聴いたのは森さんなんですよね。

森:それは間違いないです。

竹部:感想はいかがでしたか。

森:正直言って地味な曲。でも、何回か聞いているうちに、味が出てきた。そういう論理を自分の中で組み立てて、会社に戻ったときには、「涙失くしては聞けない名曲です」と自信をもって言うことができた。「再結成していたらこんな曲を作っていたでしょう」と演出して。

竹部:解散後の新曲は3曲ありますが「フリー・アズ・ア・バード」がいちばんかなと思います。メロディも演奏もいいし、アレンジも作りこんでいます。

森;最初の曲というのが大きいんじゃないですかね。本人たちの新鮮さみたいのが絶対にあるし、興奮している様子も伝わってきます。「フリー・アズ・ア・バード」は今聞いてもいい曲ですよね。

竹部:PVもいいです。

森:鳥の目を借りてビートルズのいた時代を見ていくかのような映像が伴うと説得力を増しますよね。それにしてもあのPVは何度繰り返し見たことか。映っているもの、意図しているものをメディアの人に説明しなきゃいけないじゃないですか。何度も見ましたよ。

竹部:『アンソロジー1』は世界同時発売でしたっけ。

森:11月22日、水曜日発売でした。その2日前の11月20日の朝に東芝の御殿場工場から全国のレコード屋に向けてCDが発送されたんですが、トラックで一斉に出荷されるようすがテレビのニュースで取り上げられるほどでした。ラジオ局でのオンエア解禁は、20日の午前10時。なので、この日の朝、各エリアの洋楽宣伝プロモーターがサンプル盤を受け取るべく、殿場工場に集合したんです。出荷されたばかりのCDを受け取って、その足でいち早く地元に持ってラジオでオンエアしてもらうために。

竹部:そこまで完全厳守だったんですね。

森:それを最もドラマチックに活用したのは福岡支社の洋楽宣伝担当だった小林和広という人間で、彼は前日19日から御殿場に泊って、朝一で工場に行ってその様子をラジオで中継したわけですよ。「今CDが出荷されました。トラックが何十台も出て行きました」みたいに。その日は福岡のFM局で1日中ビートルズ特番が組まれていて、そのなかで彼は新幹線の移動中も「今、関ヶ原通過中です」みたいに実況中継をしながら、福岡にCDを持ち帰って、ラジオで「フリー・アズ・ア・バード」をかけた。今の人に言っても何それって言われそうですが……。

竹部:時代を感じますね。そして20日『ニュースステーション』で「フリー・アズ・ア・バード」のPVがオンエアされた。この辺りはもうお祭りみたいでした。その流れで、大晦日にテレビ朝日は『紅白』の裏で『アンソロジー』を放送します。あれもインパクトがありました。さすがに視聴率は芳しくはなかったと思うけど、あれはビートルズしかできないことですよね。

森:まだ日本人のほとんどが『紅白』を観ていた時代ですから。でもあの出し方はわかりやすくてよかった。

竹部:宣伝効果は絶大だったでしょうね。

森:当時の『ニュースステーション』のプロデューサーは音楽に理解があって、そのおかげで、ビートルズの独占ネタはテレビ朝日でという風に決まっていました。

竹部:『アンソロジー1』のチャートアクションは最高位3位でした。

森:ミリオンはいかなかったですけど、80万くらいまでいったはずです。でも言ってみればマニアックな商品ですからね。『2』はイニシャルを高くつけすぎちゃって大変だったんですけどね(笑)。

竹部:あのときVHSも東芝から出ましたよね。

森:そうでしたね。

竹部:VHSが出たとき、『The Ichiban』の記事広告で、藤田朋子さんと対談したんですよ。東芝で映像を視聴しながら。

森:そのあとに『アンソロジー』の豪華本も出たじゃないですか。映像、書籍と連動したメディアミックスプロジェクトだったので『アンソロジー』はすごく印象に残っています。

竹部:数字にも現れていますが、ファンが戻ってきている、新しいファンがついているっていう実感はありましたか。

森:それはありましたね。『アンソロジー』が95年、96年と続いて。

『ザ・ビートルズ1』プロモキット

竹部:それ以降も、『イエロー・サブマリン』のソングトラックが出たり、話題は尽きませんでした。そして2001年に『1』が出ます。これが90年代以降のビートルズプロジェクトのいわゆる集大成的なものを感じました。

森:僕がストラテジックに異動になったのは99年の4月で、それ以降の現場は後任の藤村(美智子)に任せたんですが、おっしゃる通り『1』は90年のポールの来日から地道にやってきたことが、台地になり、丘になり、最後に大きな山になった感はありました。

竹部:『1』でビートルズ知ったっていう世代は多いですよね。

森:300万も売れたら、それは浸透しますよね。

竹部:とんでもない数字ですね。でも『1』は単に1位曲を並べただけの内容で、特別感はないですよね。未発表があるわけでもないし。ジャケットもシンプル。

森:ジャケットに関しては、本当かよって思うような話があるんです。少し前にニール・アスピノールがEMIのマーク・ヒートリーという担当者と一緒に日本に来て、東芝本社の裏にあったビルのN1っていう会議室でミーティングをしたんです。そのときニールは「次のビートルズのアルバムは1位曲を集めた内容で、ジャケはこんなのにしようと思っているんだ」って言って、たまたま僕が持っていた緑の蛍光ペンを持って、真四角の真ん中に「1」と書いたんです。

竹部:なんと。

森:実際に『1』のアートワークが届いたとき、色は違えどデザインはあのミーティングで見せてもらったままで驚きました。

竹部:それは興味深いです。

森:あの蛍光ペン返してくれなかったんだけど……(笑)。そのミーティングで行方(均)さんが「だったら、絶対、24ビットでリマスターしなきゃいけない」と言ったんですね。もし行方さんがその提案をしていなかったら24ビットにはなっていなかった。それは行方さんの功績なんですよ。

竹部:なるほど。アップル、EMIにとって日本はとても重要なマーケットだったんでしょうね。オリコン時代、行方さんにも何度か取材したことがありました。『1』の発売近辺で、また『ニュースステーション』でPVを流していましたよね。1週間やったんじゃなかったでしたっけ。「ストロベリー・フィールズ」「ヘルプ!」「デイ・トリッパー」とか、当時まだソフト化されていなかったものばかりを綺麗な画像で。あれは衝撃的でした。あと覚えているのはなんといっても渋谷ジャックです。

森:『1』の発売日は11月13日月曜日だったからその前々日と前日に渋谷の各所でイベントをやって街中をビートルズ一色にしたんです。

竹部:行きましたよ。いろいろなところでコピーバンドが演奏していて。楽しかったです。

森:リアルなプロモーションが有効だった時代。最後の幸せな出来事だったのかもしれないですね。

2000年頃配布された販促用手ぬぐい

 

アビイ・ロード・スタジオでポールから言われた「オッス!」

ジョン・レノン『イマジン~ミレニアム・エディション~』

竹部:その頃はジョンの再発も盛んでしたよね。

森;それは結構関わっていました。まだ自分が担当をやっていたので。

竹部:当然のことヨーコさんともやり取りされていたと。

森:頻繁にやりとりをしていた時代です。それこそ2000年のミレニアム・エディションの『イマジン』と『ジョンの魂』の再発盤にぼくと藤村の名前をクレジットで入れてくれたんですよ。クレジットされるとは思わなかったから、びっくりして感動したけど。

竹部:それぐらい濃いやりとりをされていたと。

森:ニッポン放送の特番用の取材で、湯川れい子先生とニューヨークに行ったことがありました。LFのスタッフが2人同行して、ダコタハウスで湯川先生がヨーコさんにインタビューをしたんです。

竹部:ダコタの中に行ったことあるんですか!

森:そのときだけですけどね。裏から入ると勝手口があって、そこに「ユートピアへようこそ」って書いてあった。そこを入るとキッチンで、その先にメインの食堂があって。そこの壁にウォホールが描いたジョンのペインティングがどんと飾ってあるんです。『メンヴ・アヴェニュー』のジャケットになったやつ。さすがに固まりますよ(笑)。

竹部:ジョンの気配、余韻は感じました?

森:さすがに僕には霊感がないから感じなかったけど(笑)。ヨーコさんらしいなと思ったのは、部屋のいたる所に自分の作品が置いてあるんです。作りかけの彫刻とか。やはり不思議なものを作るアーティストなんだなっていう印象がありますね。

竹部:あの再発盤って、ライナーノーツに必ずヨーコさんのインタビューが載っていましたよね。松村雄策さんがインタビュアーをやっていました。

森:藤村が現場をやっていた時代ですね。

竹部:信頼も厚かったんでしょうね。

森:あの時代は本当によくやり取りしていましたからね。いま思い出したんだけど、ポールと至近距離で会ったことがありました。99年かな。たまたまEMIの国際会議でロンドンに出張していたら、アビイ・ロード・スタジオでポールの『ドライヴィング・レイン』の試聴会があるというので、参加したんです。そしたら、本人が来た。僕を見て日本人だとわかったら「オッス!」って言われて。本当に「オッス!」って言うんだって(笑)。この頃のポールの自慢は、写真が撮れるカシオの腕時計だったらしく、「『ドライヴィング・レイン』のジャケット写真はこれで撮ったんだ」って言って、僕を撮ってくれたんです。

竹部:すごい!

森:もちろんそのデータはもらえなかったですけどね(笑)。

竹部:至近距離どころではなく、会話しているじゃないですか。ではアビイ・ロード・スタジオは何回か入ったことあるんですか。

森:90年かな。ファンクラブのツアーに関わったことがあって、そのときもスタジオに入ったし、そのあとも何回か入っていていますよ。あの頃はまだ、厳しくなかったから、取材やツアーで見学したいと相談されたらも、会社から話を通せば、割と簡単に入ることが出来たんです。

竹部:僕も一度だけ入ったことあるんですよ。

森:いつですか?

竹部:ジョージが亡くなった直後くらい。その頃、毎年フランス・カンヌで行われていたMIDEMに取材で行っていたんですが、参加者全員に配布される名簿を見ていたらアビイ・ロード・スタジオの人が来ていることがわかって、インタビューを申し込んだんですよ。そうしたら「期間中は忙しいから、ロンドンでなら会えますよ」と返信が来た。ということはスタジオに入れるのか、と思って、あらためてアポを取ったら「何日の何時にアビイ・ロード・スタジオで」と確約が取れたんです。それでスタジオを訪ねたんです。取材した人の名前は忘れてしまったんですが。

森:その人のオフィスですか。

竹部:アビイ・ロード・スタジオの応接室で取材しました。取材後に「第2スタジオ見てもいいですか?」と聞いたら「今レコーディングで使っているから。でも食堂ならいいよ」って言われて、食堂に行って、フィッシュアンドチップスかなんか食べました。食堂の横に中庭があって。あとになってからそこでポールが「バックヤード」という映像を撮っていたことがわかりました。

森:随分手軽なところで撮ったんですね。

竹部:今日、こうやって話を聞いていて、改めて森さんは本丸の人だなということがわかりました。

森:いやいや。本当の本丸はビートルズが現役だった時代に担当していた人たちですよ。高島(弘之)さん、水原(健二)さん。この2人は本当にすごいと思います。水原さんはこれまであまり語ってこなかったけど、きっといろいろな話を持っていると思います。

竹部:ジョンとヨーコのインタビューレコードは貴重ですよね。ジョンが普通に答えていたり、ヨーコが通訳しているのが生々しい。

森:そういう人たちから話を聞いて本を作ったらもっと濃いものができるというのは思いましたね。僕はあくまでも伝えるっていう立場で。

配信元: Dig-it

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