嗚呼…兵士に慕われた実戦派の末路
実は、国防省の統治機構は今回の内紛が始まる前から、内側で崩れ始めていた。起点は24年5月のショイグ国防相解任だ。
もっとも、12年にわたり国防省に君臨したこの男は、罪に問われたわけではない。安全保障会議書記という体のいいポストへ横滑りしただけだ。
ショイグはプーチンにとって単なる部下ではない。シベリアの原野で釣りや狩りの休暇をともにしてきた、数少ない「真の友」である。
トップの座からは外しても、盟友を逮捕の恥辱からは守る。プーチンはそう線を引き、代わりに側近たちを身代わりに差し出した…そう見る向きは多い。
事実、粛清の矛先はショイグ人脈に集中した。解任の直前には、側近だったティムール・イワノフ国防次官が巨額収賄の疑いで逮捕され、のちに禁錮13年の重刑を科された。
これを皮切りに、人事総局長のクズネツォフ、参謀本部次長のシャマリン、元国防次官のブルガコフ、パーベル・ポポフら、ショイグに連なる高官が次々と摘発されていく。
法や規律ではなくプーチンとの個人的な距離がすべてを決める。この体制の現実が、軍と官僚機構に改めて突きつけられた。
象徴的なのは、南部戦線のイワン・ポポフ第58軍司令官だ。23年、砲兵支援の不足など前線の窮状を率直に訴えたところ、ゲラシモフの逆鱗に触れて解任され、詐欺容疑で訴追までされた。兵士に慕われた実戦派の末路を、軍の誰もが見ている。
ソ連末期に重なる不吉な既視感
一連の摘発は表向き、軍需予算に群がる汚職の一掃という「綱紀粛正」だった。だが実際に国防省内にもたらされたのは、密告と保身の文化だ。いつ自分が標的になるか分からない組織で、悪い情報を上げる者はいなくなる。
ゲラシモフの過大報告体質は本人の資質であると同時に、粛清の恐怖が生んだ組織病理の帰結でもある。
軍上層部が「譲歩は敗北だ」と政治指導部に牙をむく光景には、既視感がある。
ソ連末期の1991年8月、ゴルバチョフ大統領が進める新連邦条約や対西側協調路線を「国家の解体」と見なしたヤゾフ国防相は、KGBのクリュチコフ議長らとともに「国家非常事態委員会」を名乗って決起した。
大統領を軟禁しモスクワに戦車を進めたが、市民の抵抗とエリツィンの徹底抗戦の前にわずか3日で分裂した。軍首脳の反乱は体制を守るどころか、逆にソ連崩壊を決定的に加速させた。

