ウェディングドレスを広めた 桂由美さん死去

日本の婚礼衣装にウェディングドレスを広めていった、ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが4月26日に亡くなった。94歳だった。 桂さんは東京生まれ。共立女子大を卒業後、パリに留学。帰国後、日本初のウェディングドレス専門店を開いたほか、全日本ブライダル協会を設立。また有名人の婚礼衣装を数多く手掛けたことでも知られている。25年にわたって取材してきたマリ・クレールデジタル編集長の宮智泉が、桂さんの活動や素顔をつづった。

桂さんに最後に会ったのは4月5日。2009年に、私が読売新聞東京本社編集委員として桂さんを取材し、連載した「時代の証言者」が電子書籍化されることになり、あとがきを書くために東京・乃木坂のオフィスにうかがった。 コロナ禍などもあり、お目にかかったのは4年ぶり。明るい青のスーツに、トレードマークのターバン。少しやせたように見えたが、前日、福岡出張から戻ったと聞いたので、相変わらずの忙しさだったようだ。

女性の生き方と深くかかわる婚礼衣装

桂さんが仕事を始めたときは、「ブライダル」という言葉さえも知られていなかった。「マスコミの男性たちも意味がわからないから、『プライダル』なんて言う人もいたんですよ」と話してくれたのを思い出した。当時の婚礼衣装は和装が主流。ウェディングドレスの種類も決して豊富ではなく、結婚する当事者の女性がウェディングドレスを選んでも、しゅうとめの「和装を」のひと言で断念する人もいたそうだ。ウェディングドレスの普及は古い因習との戦いで、女性の生き方や自分らしさと深くかかわっていた。

どうやったらウェディングドレスを広めることができるか。桂さんはウェディングドレスだけのファッションショーを開催することを決意。でも話題に上らなければ、観客は集まらないし、ドレスも普及しない。そこで、各界のスターを登場させることを思いつき、一人で出演交渉もして、当時話題のスターたちをモデルに登場させた。1965年に行ったショーのテーマは「7人の個性をデザインする」。7人の人気女優や歌手、モデルを登場させて、話題をさらった。

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42歳での結婚

仕事が第一で結婚は二の次と思っていた桂さんが結婚したのは42歳の時。39歳の時に雑誌に「私、いま適齢期です」という原稿を書いた。当時の女性の初婚年齢は24・2歳。適齢期は年齢や個人によっても違う、年だからって妥協することはないと書いたところ、「励まされた」という手紙がたくさん寄せられたという。

そんなときにお見合いで出会ったのが53歳の元大蔵省造幣局長の結城義人さん。桂さんとのお見合いが36回目だったとか。 桂さんの結婚式は立食の楽しいパーティー形式に。衣装は濃いグリーンのロングドレス。ウェディングドレスを着なかったのは、太っているので似合わないと思ったからだそうだ。結城さんは1990 年に亡くなるまで、桂さんの精神的支柱となった。