「児童手当はこうあるべき」と考えるのは無駄!? 心配や不安を減らす視点とは?

ある時代背景のなかで、自分はどのような人生を歩んでいけばよいか。児童手当を巡る議論を垣間見るなかで、児童手当はこうあるべきだという意見が散見されますが、単身世帯は単身世帯の、子育て世帯は子育て世帯の、子どものいない世帯は子どものいない世帯なりの、それぞれの状況や考え方に基づいてのみ語っているように思います。
 
境遇の異なる人たちが議論を重ねることはよいことです。とはいえ、児童手当を巡る議論は、本質的には「自助・互助・共助・公助についてどのようにするのがよいか」が根底にあるべきにもかかわらず、論点が定まらないというか、議論がごちゃごちゃしてしまっている気がしてなりません。
 
そこで今回は、政策に関する話は「家計にとってどのように影響するか」という視点ではなく、「政策に盛り込まれるメニューのうち、わが家にあったものはどれかを探す」という視点のほうが、結果的によいのではないかという話をしたいと思います。

「児童手当はこうあるべき」と考えるのは、家計にとってはあまり意味のないこと

児童手当を題材に考えていくと、一般的に見受けられる議論としては「子育ては大変で、お金がかかる。だから、児童手当の支給額を増額すべきだ、支給年齢を引き上げるべきだ、所得制限を撤廃すべきだ」といった内容が多かったように思います。

 

このような話の方向性は、原因が「子育ては大変で、お金がかかる」に、結果が「児童手当を増やすことなどの児童手当法改正」にあり、政治的な議論の因果関係としては正しいといえます。

 

しかしながら、政治について考え、期待したからといって期待どおりの結果が得られるとはかぎらず、そのような意味では「考えるだけ無駄」と感じている方も多いのではないでしょうか。

 

例えば児童手当について、当初「多子世帯に対しては、第3子以降、子ども1人当たり月6万円を支給する」という案が出てきたことで大きな期待の声が上がりましたが、間もなくしてその案は引っ込められ、「第3子以降については子ども1人当たり3万円」となりました。

 

このように、期待しても覆されてしまうことは大いにあり得ます。児童手当に期待し、将来の家計についていろいろと考えてみても、結局は考え損だったということになりかねないため、昨今の政策論議は子育て世帯だけでなく、それ以外の多くの家庭にもストレスを生じさせているように思えます。

 

過度に期待することなく、子育て支援のメニューが出そろってから改正点を家計に落とし込むようにしたほうが、精神衛生上よいのかもしれません。

 

政策メニューからわが家に合ったものを選んだほうがよい

図表1はこども家庭庁のサイト内で掲載されている子ども・子育て支援制度の概要です。現在実施されている子育て支援制度のメニューが一目で分かるようになっています。

 

上段が現物給付、下段が現金給付のメニューです。現物給付は子育て支援をサービスなどで支給するもの、現金給付は子育て支援を現金で支給するものと考えると分かりやすいかと思います。

 

このようなメニューを見ると、私たちは先ほどの話のように、各メニューについて「ああすべきだ、こうすべきだ」と考えがちですが、ここでは粛々と冷静に「このような支援メニューになっている」と客観的に把握するだけにとどめましょう。

 

そのうえで、これらのメニューのなかでわが家に合うものはどれか、そのメニューが家計にどのような影響を与えるか、といったことについて考えていきます。

 

図表1

※こども家庭庁「子ども・子育て支援制度」より

 

例えば、現金給付の「児童手当等交付金」について、わが家の場合はどうなるのかを落とし込んでみましょう。

 

図表1のとおり、現行法では所得制限がかかっています。一定の収入を超える家庭の場合は特例給付もしくは支給なしとなるため、児童手当を期待し、家計に反映させることは難しくなります。

 

一方で、一定の収入未満である家庭の場合は児童手当が期待できるため、収入に計上し、教育費や教育資金に役立てていこうと考えることができます。

 

もうひとつの例として、現物給付のうち幼稚園や保育所、認定こども園などに関する「施設型給付費」も見てみましょう。家計面では、幼稚園や保育所、それに認定こども園などのうちどれを利用するかが、働き方や収入などに影響を及ぼします。

 

このように、子ども・子育て支援制度で大きな目玉となるこれらの制度について、まずは客観的に受け止め、わが家の場合はどれを選んだほうがよいかを決めていきます。そのうえで、どのような働き方をするか、収入をどの程度にするかといったことも考えていきましょう。

 

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