「大奥」という場所の見え方が変わった
――全三章を通して、個人的には「大奥という場所の閉鎖的な価値観は本当にひどい。こんな場所はなくなったほうがいい!」とさえ思ってしまっていたのですが、『劇場版モノノ怪』では、大奥という場所を「完全否定はしていない」のだと、今回の『蛇神』の終盤のセリフから思い返すことができました。中村総監督は大奥という場所をどのように捉えられているのでしょうか。
僕も大奥は現代の一般的な価値観から言っても、めちゃくちゃ嫌な場所だと思いますよ。すごくきらびやかに描かれているけど、実際あの中で生きるのはかなりしんどいでしょう。最初は「ビジュアルとしては魅力的だけど、システムとしてどうなんだろう?」みたいな感覚もあったんです。
でも、時代考証の方に入っていただいて、いろいろお話を聞く中で、見え方がかなり変わりました。たとえば、“夜伽をする人”って大奥の中ではごく一部、一番多いときでも8人くらいしかいなかったらしいんです。それ以外の人たちは、地方から送り込まれて国の予算配分をしていた。言ってしまえば、政治家と官僚のハイブリッドみたいな役割を担っていたそうなんです。
例えば、「あなたのところは去年たくさん予算をもらったんだから、今年は隣の藩に回しなさい」みたいな調整を女性たちが行っていて、その結果として大きな内乱がほとんど起こらなかった、という話も聞きました。もちろん大奥には嫌なことが多いのですが、「意外と優れた仕組みだったのかもしれないな」と思えてきた部分もあるんです。
――その大奥の「システムとしてどうなんだろう?」と思う部分とは、具体的にどの部分なのでしょうか。
例えば“男子禁制”というところから、大奥は「すごく歪んだ場所だな」という印象が最初はありました。男子校とか女子校の空気感を、さらに極端に振り切ったというか、もはや“牢獄”のようにも見えて、「入ったらもう出られない場所」だと思っていましたね。調べてみると、実際にはけっこう人の出入りもあったらしいのですが、それでも現代の価値観では受け入れるのは難しいですよね。
ただ、その一方で、「こういう構造って、ひょっとしたら今の社会にもあるかもしれない」という感覚にもなりました。なにしろ閉鎖的なコミュニティって、今でもたくさんありますから。ある意味では「国単位で僕らもこうなっていませんか?」という感覚もありますし、それも合成の誤謬というテーマにつながっていると思います。
自分が知らない世界や考え方があることを知って……
――『モノノ怪』という作品は、テレビシリーズから女性たちの“声なき声”をすくい上げてきた作品で、劇場版では大奥が舞台のために、さらに女性の生きづらさや苦しみに向き合った作品だと思いました。中村総監督はどのように女性の気持ちを理解しようとされたのでしょうか。
「女性の気持ちがわからない」は、男性にとって永遠のテーマだと思います。だからこそ、女性に届くものを作りたい、受け入れてもらいたい、という気持ちはずっとあります。
これは本当に個人的な体験なんですけど、10代の頃は「女性も男性もそんなに変わらない」と思ってたんですよ。でも、女性とコミュニケーションを取っていくうちに自分が知らない世界や考え方があることを知って、「ちゃんと学ぶ姿勢がないと、正しいコミュニケーションはできないぞ」と思いました。
そのために何をしたかというと、とにかく疑問に思ったことを聞いたんです。「感覚で理解しようとするのはよくない。きちんと話を聞いて、それに基づいて理解しよう」と。その中でたくさん失敗もしながら、少しずつ知っていった感覚です。

