きっかけは娘のアデノウイルスをもらって、家族全員がダウンしたことでした。その後私だけ体調が戻らず、3つの病院を渡り歩くことに……。やっとわかった病名は、自己免疫疾患の「橋本病」でした。そして今も、橋本病と付き合い続けています。今回が私が橋本病と診断されるまでの体験談を紹介します。

家族全員アデノウイルスに



当時、私は夫と1歳の娘との3人家族でした。ある日のこと、娘がアデノウイルスに感染しました。

その後、家庭内で私や夫にも感染が広がったのですが、なぜか私だけがなかなか症状が回復しませんでした。1カ月以上の間、だるさなどの風邪症状が治まらず、近くの内科に通い続けることになってしまいました。

「年をとって体が弱くなったのか」とも思いましたが、あまりの疲れやすさに違和感があり不安を感じていました。

その後も症状が長引くので、ただの風邪ではないだろうと詳しく検査をしてもらったところ、ひどい貧血であることと、悪性リンパ球の数値が高いことが判明。

そして、医師から大きい病院へ行くよう指示を受けたのです。何か大きな病気なのかもしれないと不安を募らせながら、私は公立の大きな病院へ行きました。

しかしそこの医師からは「貧血です」としか言われず、診断に納得できないまま、結局また元の内科に戻ることになってしまいました……。

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肝機能障害や悪性リンパ球が見つかり



公立病院の診断結果に戸惑う気持ちのまま、再び元の内科を受診すると、なんと今度は肝機能障害もあると言われ、私はますます怖くなりました。

「子どもがまだ小さいのに、いったいどんな大きな病気なのか?」と不安でたまらなかったです。

内科の先生に紹介され、今度は公立病院ではなく、別の総合病院の血液内科を受診することにしました。これで3つ目の病院でした。

体もしんどい状態が続いていて、「とにかく早く原因が判明して治療してほしい」と涙の出る思いでした。

総合病院の血液内科では、採血で甲状腺の数値を検査したり、喉のエコー検査をしたりしました。

1回目の受診のときは貧血がひどく、輸血が必要なレベルだったそうです。貧血の人が打つ注射を打ったところ、2回目の受診のときには貧血が改善しました。

そして喉のエコー検査を受けた日に、私は血液内科から同じ病院内の内科を紹介されて受診することに。内科の先生が私に告げた病名は「橋本病」というものでした。

やっと病名が判明しましたが、私が今までに聞いたことのない病名でした。橋本病は自己免疫により甲状腺が攻撃され、慢性的に喉の辺りが腫れる病気だそうです。

甲状腺ホルモンを作る働きが低下するため、代謝が悪くなり、痩せにくく太りやすいというサイクルに陥ってしまうんだとか。同じ甲状腺の病気でも、バセドウ病は甲状腺ホルモンが出過ぎる病気なので、反対の病態になるようです。