ビリギャルが挑んだ30代からの受験勉強。やってみてわかった慶應受験とは違っていたこと〔後〕

高校時代、金髪にミニスカ、全国模試の偏差値30だった"ビリギャル”が、34歳のいまたどり着いたのは、アメリカの名門・コロンビア大学の大学院。彼女がここまで歩んできた道のりを聞くインタビューの最終回。大学受験から15年、改めて取り組むことになった受験勉強の実際と、初めての海外留学で待ち受けていた現実とは

アメリカで日本のレベルの高さに気づく

日本の教育を考えるためには日本を出ないと、ということで留学してみたわけですが、外から見てみると、これがけっこうちゃんとしてるんですよ、日本って。

先日、ニューヨークのハーレムにあるコミュニティースクールの職員の方が授業に来て話してくださったのですが、その方に「今、どんな課題がありますか?」と聞いたら、「まず先生を毎日ちゃんと学校に来させるのが課題だ」と言うんです。そういうことを聞くと、日本では、日本の教育はダメだとか言うけれど、全然ダメじゃない。課題はもちろんありますけれど、日本の学校の先生は勤勉だし、ちゃんと学校に来て、おもしろくなかろうが、ちゃんと授業はやるじゃないですか。こちらは授業すらしない先生もいる。日本の当たり前は超ハイレベルです。


ニューヨークのハーレムの街並み(写真AC)

教授にも「日本の教育は課題が多い」と私が言ったら、「何が課題なの? 日本はすごいじゃない」って言われる。たしかに、アメリカの教育の現状を学ぶと日本はすごいなあって思わされます。アメリカは州ごとにガイドラインが違って、テキストも違うのでそれだけでは比較できないけれど、日本は公立の学校間ですごい差があるわけではないじゃないですか。みんな読み書きはできるし数学もまあまあ高いレベルだし。給食費払えない、鉛筆も買えないという話もないわけではないけれど、アメリカの教育格差の大きさを見ると、日本の教育は総じてレベルが高いと思います。

いや、日本人ってホントにすごいですよ。ニューヨークに来て身に染みて感じますね。たとえば約束をきちんと守ること。教授に言われたことは守るし、人に対する思いやりとか日本人にとってふつうのことが、他の国の人たちはできないですよ。できなくていいという文化で育っているので、いたしかたないのですが。こういったことも、海外に出たからこそ自分で実感できているわけで、坪田先生が外に出ないと、と言っていたのは、こういうことなのかなと思っています。

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34歳で知った「ビリ」の無限の可能性

34歳で初めての留学に挑戦した私を待っていたのは、まさに「ビリギャル、またビリになった」という現実。英語がわからなくて授業の内容もなかなか理解できず、教授のジョークにみんな笑っているのに私だけ笑うことができなかったりと、恥ずかしいことや情けないことがたくさんあります。

でも、そんなの誰も気にしてないことにも気づかされて。失敗して当たり前、誰も私に期待していないと思ったら、この環境は最高だなと。ちょっとでもうまく言えるようになったら、成長してきたと認めてもらえるわけですから。わからなくてもどんどん発言して、高い学費のもとを取るぞと、逆に燃え始めました。


大学院の授業でプレゼンをする小林さん(写真提供・小林さん)

そして、知っていることと体験していることの違いも実感するようになりました。違う文化の人とこのキャンパスで話していると、自分がどんなに小さな世界にいたかを思い知らされます。そして、自分のなかの「当たり前」が変化して世界の見方が変わる。これこそが学びなんですよね。

まだ30年ちょっとしか生きてないのに、こんな経験させてもらってほんとにラッキーだなぁと思っています。このあと何回ビリになるかわからないけど、そのたびにたくさん吸収して学んで、また新しい自分になっていけばいいと思うと、何回ビリになれるか、楽しみになるほどです。